『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.760

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なり、兩御所樣京都御逗留之内、材木藏ニ火事有之時、燒死たるへき覺悟ニ, も及はぬ大沼なれとも、何之障もなく向ふニ懸揚らる、其手ニ敵出あは〓, 〓、一足も不引即時ニ踏消れ候、翌年夏御陣ニ、大坂大手ニ而、馬廻り十七八, 由、出雲守樣桑名ニ御座候時分ハ、内記樣と申候由御座候、, 殿御前を立、親に劣りたると御意の上は、生て詮れし、沼に入て死るも同し, 候、大坂冬御陣ニ、家康公ゟ急ニ懸れとの御下知也、出雲守、是は御無躰成御, 意也、此沼を何と越へきや、直ニ可申上とて御前ニ罷出、其段被申上けれは、, 騎眞直ニ駈入、時を移し相働戰死也、家康公、秀忠公え被仰は、今度出雲守か, 道理なりとて、則打入らるゝを見く、三千餘之人數不殘打入たれは、誠ニ丈, は合戰なし、無理乘をんと有を、家來共鎧ニすかり取とゝめたり、其後扱ニ, 猛勢に截所なしと云事をしらつを、親ニ劣りたる者哉と被仰出、則出雲守, も被爲盆候と奉存候よし、内記樣御若き時分、二俣主税之助御物語申上候, 戰死一言を耻て也用ニ立者は耻を知る、耻を知者ハ仕樣大事成へしとの, 〔淺川聞書〕乾本多平八殿御嫡出雲守殿ハ、日本一之男ニる、大力之聞へ, 御意也, 冬役ニ家, 忠朝ハ日, 家康ノ忠, 本一ノ男, 康ノ不興, 朝ニ對ス, ル評, ヲ蒙〓, 元和元年五月七日, 七六〇

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  • 冬役ニ家
  • 忠朝ハ日
  • 家康ノ忠
  • 本一ノ男
  • 康ノ不興
  • 朝ニ對ス
  • ル評
  • ヲ蒙〓

  • 元和元年五月七日

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  • 七六〇

注記 (25)

  • 590,655,79,2208なり、兩御所樣京都御逗留之内、材木藏ニ火事有之時、燒死たるへき覺悟ニ
  • 827,647,77,2218も及はぬ大沼なれとも、何之障もなく向ふニ懸揚らる、其手ニ敵出あは〓
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