『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.774

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

に備を崩しかける必無用也と、不通に合點せさりしかは、すへき樣もなく、, 其身の馬は口強ニて大丈成し故か、乘替候へと、則宮内か馬に打乘、敵陣え, 田能登守制して、井伊の手負色也、左あらは無程此方の備えかゝり可來、亂, 是非共ニ御掛り候へとて、御家の名を下し申也と〓に申ける、忠兵衞、我も, 皆々齒を喰しはり、腹立たれとも詮方なく、見居たりしか、掃部殿終に戰勝, 中々此方へ木村の勢可來樣もなく、もはや此外に可掛敵の備もなかりた, 思ひ、岡縫殿右衞門たまりか手、忠兵衞との、藤田能登守殿指圖を御待なく、, 近く、何レも横鑓を入戰ははやと思ひ、樣々催したれとも、當手の御目付藤, たる、七日ニは木村長門守備、井伊掃部頭殿手ニ取合たるか、則此方の備前, り、今日手を空しくして、落城にも及はゝ、後日に申譯有ましと、何れも口惜, 此所討死すへき時節也数と、子息宮内か乘たる馬は、小丈ニて働能馬也、「, 柄之働には甲斐なく思ひ、諸士皆々口惜、明日は花々敷戰も有樣ニと思ひ, 伊藤忠兵衞正晴大坂ニて討死也、五月六日の合戰御手も合たれとも、御家, 乘着しかは、相隨ふ面々も手ニ合たり、又討死をしも、此所にての事也忠兵, 〔見聞隨筆〕ニ伊藤忠兵衞大坂御陣討死之事, 伊藤正晴, 元和元年五月七日, 七七四

頭注

  • 伊藤正晴

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 七七四

注記 (18)

  • 1067,655,64,2233に備を崩しかける必無用也と、不通に合點せさりしかは、すへき樣もなく、
  • 251,654,66,2223其身の馬は口強ニて大丈成し故か、乘替候へと、則宮内か馬に打乘、敵陣え
  • 1185,652,63,2224田能登守制して、井伊の手負色也、左あらは無程此方の備えかゝり可來、亂
  • 486,652,63,2227是非共ニ御掛り候へとて、御家の名を下し申也と〓に申ける、忠兵衞、我も
  • 951,649,65,2235皆々齒を喰しはり、腹立たれとも詮方なく、見居たりしか、掃部殿終に戰勝
  • 834,655,61,2211中々此方へ木村の勢可來樣もなく、もはや此外に可掛敵の備もなかりた
  • 602,651,61,2240思ひ、岡縫殿右衞門たまりか手、忠兵衞との、藤田能登守殿指圖を御待なく、
  • 1302,644,63,2233近く、何レも横鑓を入戰ははやと思ひ、樣々催したれとも、當手の御目付藤
  • 1420,655,62,2221たる、七日ニは木村長門守備、井伊掃部頭殿手ニ取合たるか、則此方の備前
  • 718,649,63,2235り、今日手を空しくして、落城にも及はゝ、後日に申譯有ましと、何れも口惜
  • 368,652,65,2213此所討死すへき時節也数と、子息宮内か乘たる馬は、小丈ニて働能馬也、「
  • 1534,645,64,2221柄之働には甲斐なく思ひ、諸士皆々口惜、明日は花々敷戰も有樣ニと思ひ
  • 1651,644,62,2225伊藤忠兵衞正晴大坂ニて討死也、五月六日の合戰御手も合たれとも、御家
  • 131,660,67,2212乘着しかは、相隨ふ面々も手ニ合たり、又討死をしも、此所にての事也忠兵
  • 1748,614,103,1460〔見聞隨筆〕ニ伊藤忠兵衞大坂御陣討死之事
  • 1662,282,43,171伊藤正晴
  • 1886,720,44,332元和元年五月七日
  • 1891,2455,40,122七七四

類似アイテム