『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.807

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題たりし右近大夫也, 敵を〓ふせて首を取らせ、我身も〓伏られ漸引退く、是後に大番頭と成、大, に、家中の者共城兵に〓立られ敗走仕るに付家老の水谷太郎左衞門、伊勢, 上る事不叶、爰において無詮方脇差を手裏〓にうちたれは、敵迷惑して鑓, 股をつかれ落馬す、家來はせ付て肩にかけ退所に、正直放せとて、鑓をとり, を抜とき、澁田見縫殿已下の徒兵落命是を助くる、此忠貞き後年鎭西の探, 藤田も二ケ所の薄手負見ゆる、然共終に打勝て、榊原手へ首七十八、小身の, 大學忠貞十八才、峯の上より敵に胸板と肌の間を鑓付られ、尻居に伏て立, 藤田能登守殿き榊原手の軍監、相備衆手配宜下知なして備ふ所に、森豐前、, 水谷伊勢守は十七歳にて出勢の處, 炮にてうたれ、玉送りの板ニて留る、振かへる所を内冑を鑓にて〓れ、また, 藤田手へ二十三取て、脇へ逃る弱敵き打捨、本道へ追行にる、, 坂御城番たりし保科彈正忠也、小笠原信〓も、其父兵部太輔も戰死、信〓弟, 逸水甲斐等の剛敵きひしく懸りて、伊藤忠兵衞以下の榊原勢多く討まぬ, 〔落穗集, ○以下酒井家次組ノコトニ係ル, 九秀政父子ノ働二係ル, 十○上略、本多忠朝小笠原, 水谷勝隆, 酒井家次, 太郎左衞, ノ臣水谷, 組, 門, 元和元年五月七日, 八〇七

割注

  • 九秀政父子ノ働二係ル
  • 十○上略、本多忠朝小笠原

頭注

  • 水谷勝隆
  • 酒井家次
  • 太郎左衞
  • ノ臣水谷

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 八〇七

注記 (26)

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