『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.99

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多く離散して斃れ、道路は彼等の屍を以て充塞せられたり、此の戰に於て、, 兩軍の死者は十萬人に及べり、, に傷を負ひ、目當なく彷徨せる逃亡者を見るに過ぎざりき、, 心なる傲慢に加へられたる正當の罸と云ふべきなり、, に、神の復誓を受けたり、, 風盆〻強くして炎を煽り、爲めに邸宅社寺充滿せし此の市も、堺市と共に一, 城内に籠りし秀頼の與黨は、火藥に火を放ちて全市に火災を及ぼしゝが、, り、敗軍中特に將帥等の内に、此の道に依て逃走せしものありしが、兵士は, 然れどもこの大なる不幸の結末として、又神の裁判を完からしむるため、, 夜の間に全滅せり、而して燒跡は廢趾灰燼及び半ば焦げたる死屍の外、時, 秀頼は其の終を詳かにせざるも、大殺戮の際、市内にて死せしが如し、秘密, 太閤樣の好愛して其宮殿を置きし大坂市は滅され、住民は其の罪の爲め, に包まれたる此の君の死は、太閤樣の無限の希望の終末にして、彼の不信, 望の餘逆撃せんことを恐れて、京都方面の通路を開放し置くべきを命ぜ, 、行衞不明となれ, 註、明石掃部も等し, られて處刑せられしものあるは、後に掲ぐべし、, り、而して基督教徒の彼を隱匿せりとして訴へ, 秀頼ノ最, 大坂堺ノ, 期, 燒亡, 元和元年五月八日, 九九

割注

  • 、行衞不明となれ
  • 註、明石掃部も等し
  • られて處刑せられしものあるは、後に掲ぐべし、
  • り、而して基督教徒の彼を隱匿せりとして訴へ

頭注

  • 秀頼ノ最
  • 大坂堺ノ
  • 燒亡

  • 元和元年五月八日

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  • 九九

注記 (24)

  • 1708,622,62,2243多く離散して斃れ、道路は彼等の屍を以て充塞せられたり、此の戰に於て、
  • 1597,621,56,942兩軍の死者は十萬人に及べり、
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