『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.267

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五歳にて終り〓り、見る人聞人、〓武士の子孫やと、譽ぬものとなかりけり、, 待居たり、速見甲斐守守之不便に思ひ、大助か傍に立寄りて、貴殿は一昨日, 口中に念佛唱ける、八日午刻、秀頼公御自害有しかは、男女三拾貳人皆自害, 身を押肌〓、四人一度に聲をかけ、いさきよく切腹せしを、彌平太左吉介錯, 秀頼公御取後の御供三十貳人乃内高橋半三郎十五歳、土肥庄五郎十七歳、, てくれたりし水精の珠數鎧の引合より取出し念佛申、秀頼公乃御切腹を, いつれも物の具〓置、四人西向に並手を合、念佛高らかに唱、雪のことく成, を添、眞田河内守方まて送屆けんとすかした〓共、大助はいらへもせす、唯, おしのこひ、物をも云す、古郷の母に別るゝ時、〓後の時、是を持討死せよと, して、矢倉に火を懸、同煙と立上りぬ、眞田大助も鎧〓置、腹十文字に〓切、十, 彌平太、武田左吉介錯して取らせよと被仰付らしに、三人の兒小姓と大助, 譽田にて手柄戌太刀打高名し、高股に鑓手負たよと聞、疵はいたみ候哉、秀, 頼樣にも、頓〓御和談にて、御命無恙御出有筈なれは、貴殿は早々逃給へ、人, は、上〓共は皆介錯申付たり、三人の兒小姓と眞田大助とは幼少なり、加藤, 高橋十三郎十三歳、何衣三人は秀頼公御小性なり、〓後の時、秀頼公上意に, ニ府ス, 大助秀頼, 元和元年五月八日, 二六七

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  • ニ府ス
  • 大助秀頼

  • 元和元年五月八日

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注記 (19)

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