『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.451

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りたる、如何樣用有へし、此もの共の跡に付て行て見へしとおもひ立たる, 自害せんと思ひにるが、大軍の柵を出て、今はる〳〵是迄來る、未運命の有, は野も山も東軍なれは通り難く、山谷の間道をるて、行道すから、食物も奪, 故、是へ志して落行、駿州にも又しるべ有り、され共路錢とてもなく、本海道, やと思ひ居にるに、里人十四五人肩衣計着して、此社頭え供物を備へて歸, 運命是迄ならは、今夜中に命を此社頭に失しめ給へと、心中にせいしんを, 取て過行けるが、信〓多賀明神の社に至る時は、二日食事絶たり、是迄の命, が、此躰にてはあやしむへしと思ひて、簑笠を捨て、上に着したる木綿袷を, 散して城に歸る、民部は數軍を切拔、山科の邊なる民家ニ走入、民人を切殺, ぬきんてゝ祈る、され共其夜何事なく夜明りたり、〓は運をひらく〓きに, る所也と思ひ返して、夜すから明神に祈にるハ、今日に至り二日食事を絶, つ、明日にて三日也、若運命むらくべくは、明日の中に幸を得さしめ給へ、又, し、具足をぬき捨穢服になり、簑笠を着、刀を藁に包、東國宇都宮にゆかり有, 者あり、兄と一所に大坂方にて籠城、五月六日、井伊藤堂か軍と戰、盛親は退, 〔落穗雜談一言集〕〓土佐の領主長曾我部宮内少輔盛親か弟民部と云, 東國ニ奔, 民部康曹, 盛親ノ弟, 元和元年五月十五日, 四五一

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  • 東國ニ奔
  • 民部康曹
  • 盛親ノ弟

  • 元和元年五月十五日

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  • 四五一

注記 (20)

  • 383,628,59,2215りたる、如何樣用有へし、此もの共の跡に付て行て見へしとおもひ立たる
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