『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.321

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明智識ニ〓まします, ほりて、此旨、御奉行所へ申上られたり、各々沙汰し給ひたなは、智惠有とい, 彼之湯殿山は三身圓滿の山、何ぞ淨土の供養をきらふや、其上塔婆にあた, 湯殿大日より弘法大師相傳有て、我宗に弘る儀式也、然るを淨土宗すとむ, 取かはす事數通に及べり、眞言宗には、筑波山知足院を頭として、此いきと, 一問答是非を聞すべしと書て立る、菊蓮寺是を見て又塚本に返札を立る、, へとも、いきほひに乘にはしのず、しき有といへとも、時を待にはしのすと, に於て、菊蓮寺といふ淨土坊主、湯殿供養塚に卒都婆を立置處に、眞言宗三, る事、師教相違せり、是に依て卒都婆を折〓捨る、道理に於ては、塚本へ出合、, 千人ほと集り相談し、卒都婆を打折、其塚之上に高札を立る、抑時の供養は、, る事、五逆之人すてに佛身をそんず、如何ニと書て立る、夫より互に筆記を, します、夫いかにといふに、慶長拾八年卯月十六日の事なるに、常陸國三戸, ふりやむ事なふして、法論致、勝負を決すへき旨しきりに申に依な、三戸少, 尤此上人、外相は荒人神に見ゆれとも、内心は慈悲にんにくの生佛にてま, 將頼房卿ゟ、佐野彌次右衞門、新家忠右衞門此兩使眞、淨の僧に差添、江戸の, 老人聞て、, 、慶長十年是歳、増上寺造營ノ條ニ收ム、, 中略、源譽人ヲ攝伏セシムルコトニ力, 淨土眞言, 兩宗僧徒, ノ爭, 元和元年七月二十四日, 三二

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  • 、慶長十年是歳、増上寺造營ノ條ニ收ム、
  • 中略、源譽人ヲ攝伏セシムルコトニ力

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  • 淨土眞言
  • 兩宗僧徒
  • ノ爭

  • 元和元年七月二十四日

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  • 三二

注記 (23)

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