『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.69

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人となる, を見て、正次御本陣に歸て、台徳院殿にしたかひたてまつり、茶磨山にいた, もなし、其後台徳院殿乃御前にて、軍功乃勝劣を評議したまふ時、正次か事, よしを言上す、近藤與兵衞も又言上していはく、敵を討、御前に〓したてま, 部三十郎馳來る、其外御使番衆相つゝいてすゝみ來る、城中火の手あかる, 處にをひて、各敵の首をとりて、御前に〓するとき、幸成と言葉をあはする, 山作十郎、遠山平右衞門父子、大橋兵右衞門等、城中の柵の中、算用曲輪等の, 兀和元年の秋、台徳院殿、江戸の, 味方乃勢も又そなへをみたるにより、正次馳入てこれを見れは、敵兵一人, を、村瀬左馬助言上す、其後正次すゝんて城際にいたる、時に久世三四郎、坂, に告と云々、これによりて幸成をめされて尋問せ給ふとき、幸成かれか證, 台徳院殿、相州高座郡打〓郷にをひて、千石の地をたまはる、, つらんとするとき、疵をかうふり行歩かなはさるゆへ、城中にをひて、幸成, る、御歸陣の後、六日の合戰に、正次か其時刻を言上せし事を稱美したまひ、, 御城に還御ありて、五月六日七日の戰功を僉議し給ふとき、井戸左馬助、青, 青山幸成, 〔寛永諸家系圖傳〕, 大藏, 少輔、, 八十, 二, 證人トナ, 戰功者ノ, 青山幸成, 元和元年十月二十三日, 六九

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  • 大藏
  • 少輔、
  • 八十

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  • 證人トナ
  • 戰功者ノ
  • 青山幸成

  • 元和元年十月二十三日

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  • 六九

注記 (26)

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