『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.135

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千石を領知す, 下淡路守に嫁せしめ、男子二人をうむ、淡路守故ありて誅せられしのち、秀, の妹なり、光教の弟西尾修理光重は、五千石を領し、當村長源寺の地にすみ, 葱白和十一生姜一塊、入鹽噌爲餅、炙熱而貼臍、小便少通、, しといふ、西尾豐後守政照は、光教の養子也、光教男子なく、女子ありしを、木, 吉公の命によりて、その外孫二人を光教の養子とす、光教卒去ののち、兄の, 石を領し、代々御旗本に列す、政照は元和九年四月二日、當城にて卒し、亂心, 政照家をつき、三萬石を給ひ、當城に住めり、弟主水忠知は、當郡中元ニ五千, 十一月十九日かの地にて卒ス、法號常照院宗岳圓光居士、内室は氏家ト全, 元和元年、大坂御征伐御歸路の供奉して駿府にいたり、, 西尾豐後守, たまによりて、家名斷絶す、法號理喜院玄光淨圓居士、父子とも松林寺に墓, 〔玄朔道三配劑録〕天正廿, 感冒、咳痰、寒熱、虫衝上、今日俄ニ便不通、通氣湯三和加車、又, 西尾豐後守、頭痛、吐逆、腰強、腹中逼迫、寛虫湯、差、沙、陳、朮、朱、我、兵、青、, あり、, 慶長七, ○嘉教卒スルコト、元和九, 年四月二日ノ條ニ見ユ, 餘才, 六十, ○注, 略ス, 壬, 寅, 十一ノ十一, 正廿日, 二テ卒シ, 嘉教亂心, 家斷絶ス, 元和元年十一月十九日, 一三五

割注

  • ○嘉教卒スルコト、元和九
  • 年四月二日ノ條ニ見ユ
  • 餘才
  • 六十
  • ○注
  • 略ス
  • 十一ノ十一
  • 正廿日

頭注

  • 二テ卒シ
  • 嘉教亂心
  • 家斷絶ス

  • 元和元年十一月十九日

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  • 一三五

注記 (32)

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