『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.256

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上杉景勝先手の侍大將して、關東の戰に名ある者也、關ケ原御陣のはしめ、, の討死仕程の戰を、働も無樣に御取成、以之外成御申方と爭ひけれは、能登, 會津を立退、江戸駿河え參り、上杉反逆の段、惣〓會津籠城用意一件を悉く, 守御前近く候と制したるに、主水御前近候へは、猶以此儀しかと申上候と、, 彌聲をはけまし申披ける、ケ樣の事故か、能登守程なく御改易被成たり、能, 東忠兵衞か子の内記と、藤田能登守と御前におゐて對決す、内記一々申上, 戰の圖をはつし、己か非を遁ん爲、當手指圖に背き、おくれたる樣に申たる, られ討死申て候、能登守殿御さゝへなく候はゝ、木村をも討取可申也、物主, 剛敵故也、又上方の弓矢き鑓ばなの大事也、國々にて弓矢の變りある事を, 登守は、夫ゟ浪人して、信濃の内にて果けるとかや、此能登守小田原陣の節、, 申上る、武邊者と申せとも、志よからぬ男にや、會津の事を見懸立退、又大坂, 候故、藤田か不覺に極り候、其時上意には、關東方にて二勝といふは、多くは, 〔武事紀談〕扨落城已後京二條の御城におかて、此度の戰功御吟味ある、伊, 存せさる藤田か越度也と有て、傳長老を召して、呉子か六國の風俗に依て, と聞えし, 伊奈内記, スル惡評, 對決, 信吉二對, ト信吉ノ, 家康崇傳, 子ノ一節, 信吉敗訴, ヲシテ呉, 元和元年十二月二十七日, 二五六

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  • 伊奈内記
  • スル惡評
  • 對決
  • 信吉二對
  • ト信吉ノ
  • 家康崇傳
  • 子ノ一節
  • 信吉敗訴
  • ヲシテ呉

  • 元和元年十二月二十七日

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  • 二五六

注記 (26)

  • 1171,634,64,2241上杉景勝先手の侍大將して、關東の戰に名ある者也、關ケ原御陣のはしめ、
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