『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.250

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鑓の鹽首を切り折たり、能登は鑓の柄を打捨て、忠佐か太刀の下をくゞつて組み付んとし, と下知しければ、班しかけたる軍勢ども、承り候と、大波の打懸るがことく取てかへし、, もとの如く十三段に備へをかためたり、其内にはや、大久保忠佐・柴田が二百餘騎、小山, や組んと太刀を納め、馬上ながらむずと組んでもみ合ひしが、兩方共に馬上の達者、ちか, 角八面に追ひなびけ、武勇を振ふ、大久保忠佐是を見て、大太刀眞甲に打ちかざし、能登, 山田昌則小姓頭上原能登を討たせて無念とや思ひけん、再幣打ふりて、しきりに下知しけ, けるを、忠佐只一打と切りかけしが、飛鳥のことく太刀の下をくゞりければ、忠佐もいで, 田昌則が三千餘騎をもみ立〳〵責めたゝかふ、小山田備中朱刷牙の再幣打ふつて、鞍かさ, を目がけて馳セ合す、上原も鑓を取り直して打合しが、忠佐ひらひて打つ太刀に、能登が, 上帶むんずとつかんで、鞍に引よせ、終に首を取たりけり、めざましかりける働なり、小, の鑓を馬のひら首に持そへ、背は六尺ゆたかなるが、大久保が二百餘騎にわつて入り、四, らも牛角のちからなれば、しばしが程はねぢ合ひしが、忠佐かちからや増りけん、能登が, に立上り、上原能登はなきか、あれ打ち散らセと下知しけれは、承ると、上原能登三間柄, れは、三千餘騎惣懸りに〓てかゝる、味方は小勢死を輕んじて相戰ふといへども、終に, 上原某ノ討, 死, 元龜三年十二月二十二日, 二五〇

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  • 上原某ノ討

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二五〇

注記 (18)

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