『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.601

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前年の御鷹野に御出之砌、駿府法躰寺の所化衆三人つれ參り逢、何だ學, 被成、御禮義有、又今川義元討死の場、尾〓桶狹田樂の窪を、御鷹野にて御, 守信昌御室家の御母堂なり、又出家なとにも、その禮義ふかし、大坂御陣, 後者元康と申奉りし其御屆にて如此、家康公の御前樣は、義元の婬聟關, 言の官に御禮儀なりと被仰たるとかや, 口刑部親永の御娘、後には築山殿と申奉な、岡崎三郎信康樣并奧平美作, 通り之時き、いつにても御下馬被成候、是は家康公、八歳之御時より十九, 歳迄駿府に御入、殊に義元の栓聟ニ被爲成、義元の一字を御もらい、元信、, 僧なり、御意には、青々一寸の松中有棟梁姿、また聖人さへ後生可恐と宣, し、後にきいか成知識にかならんとて、御下馬被成、上杉中納言景勝にも, 一東照宮御一生、今川義元の塚前を御通り被成候に、たとひ急ニ御通りの, 州武田信玄の御息女賢性院御目見への時き、いつも御上段より御下り, 御逢被成時き、御籃輿より御下り被成御談義、是も管領家、高家又ハ中納, 一家康公は大御所と申奉る時にても、御禮義少も威高なる御奢はなし、甲, 〔故老諸談〕上, 家康ト上, 杉景勝, 會侶ヲ敬, 院ニ對ス, ノ女見性, 武田信玄, ル禮, 元和二年四月十七日, 六〇一

頭注

  • 家康ト上
  • 杉景勝
  • 會侶ヲ敬
  • 院ニ對ス
  • ノ女見性
  • 武田信玄
  • ル禮

  • 元和二年四月十七日

ノンブル

  • 六〇一

注記 (24)

  • 976,704,72,2177前年の御鷹野に御出之砌、駿府法躰寺の所化衆三人つれ參り逢、何だ學
  • 1676,709,71,2172被成、御禮義有、又今川義元討死の場、尾〓桶狹田樂の窪を、御鷹野にて御
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