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なしく朝鮮に赴き、大朦艦二艘を撃取、その餘功をあらはす、三年十月、敵, をその地にとゞめ、諸將とともに歸朝す、二年正月、ふたゝひ行長等とお, 平寺にをいて太閤に〓し、本領安堵の朱印をさづけられ、二万七千九百, となりて、釜山浦登莱等の城を陷、すゝみて王城にいたり、のち明の援兵, 和を請により、諸將これをゆるす、よりて十一月、ともに筑前國博多に歸, とたゝかひ、しは〳〵功をあらはす、慶長元年六月、嘉前、弟何右衞門純宣, 元年、朝鮮の役に、嘉前一千餘人を率ゐて、小西攝津守行長とともに先鋒, 石餘を領す、このとしの夏、長崎の内町をもつて、おほやけの地とす、文祿, 閤、島津義久征伐のとき、書翰をあたへられ、海路の先鋒となり、薩摩國太, 永祿十二年、大村に生る、天正十五年、豐臣太, り、たゞちに伏見にいたりて、東照宮に拜〓し、封地に歸る、このとしの冬、, 母は上におなし, 嘉前, 郷純久ガ女、大村家譜、母ヲ有, 馬氏ノ親族皆吉氏トナス、, レドモ詳ナラズ、今姑ク家譜記載スル所ニ從フ, 女子母は上におなし、家臣大村右馬助敏武か妻, ○喜前、嘉前ト改ムルコト、寛政重修諸家譜ニ見ユ, 女子母は二女におなし、家臣大村彌五左衞門純茂か妻, 女子母は皆吉氏、家臣福田勘解由兼則か妻、, 西, 元和二年八月八日, 朝鮮役ニ, 喜前ノ履, 於ケル喜, 歴, 前, 元和二年八月八日, 四一六
割注
- 郷純久ガ女、大村家譜、母ヲ有
- 馬氏ノ親族皆吉氏トナス、
- レドモ詳ナラズ、今姑ク家譜記載スル所ニ從フ
- 女子母は上におなし、家臣大村右馬助敏武か妻
- ○喜前、嘉前ト改ムルコト、寛政重修諸家譜ニ見ユ
- 女子母は二女におなし、家臣大村彌五左衞門純茂か妻
- 女子母は皆吉氏、家臣福田勘解由兼則か妻、
- 西
- 元和二年八月八日
頭注
- 朝鮮役ニ
- 喜前ノ履
- 於ケル喜
- 歴
- 前
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- 元和二年八月八日
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- 四一六
注記 (29)
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