『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.417

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しりそくへき術をとふ、嘉前つふさにこれをいふ、すなはち御前にめさ, 々を招く、嘉前あへてその催促にしたかはす、家臣大村六右衞門純景を, 宮より御書を下され、逆徒にくみせさる忠義を賞せらる、關原の亂平く, して、關東にいたらしめ、志を通したてまつる、ときに松浦肥前守鎭信、有, 居城宇土をせむ、嘉前兵をつかはしてこれをたすく、九月二十八日、東照, 浦の神集島に會し、書を馳て嘉前を招く、嘉前たゝちにかしこにいたり、, によりて、駿府にいたる、ときに本多上野介正純、耶蘇宗門の徒をはらひ, 日、從五位下丹波守に敍任し、五年、石田三成等謀反し、しは〳〵鎭西の人, む、六月十八日、台徳院殿より、御書及ひ御帷子を賜ふ、十八年、東照宮の仰, をもつて代地とす、十二年二月十七日、仰をうけて、駿府城の普請をつと, の仰をかうふる、十年九月十一日、長崎の外町及ひ屬邑を官に收め、浦上, のゝち、嘉前、清正とともに大坂にいたり、東照宮、台徳院殿に拜〓し、御感, 大村の久島に城を築きてこれにうつる、後代々居城とす、四年正月十一, 馬修理大夫晴信、五島淡路守玄雅等、その去就を議せんか爲に、肥前國松, 片言をもつてこれを决す、よりて各邑に歸る、のち加藤清正、小西行長が, 元和二年八月八日, ニ於ケル, 關ケ原役, 吉利支丹, 禁止ニ對, 喜前, スル喜前, 四一七

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  • ニ於ケル
  • 關ケ原役
  • 吉利支丹
  • 禁止ニ對
  • 喜前
  • スル喜前

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  • 四一七

注記 (23)

  • 292,706,61,2132しりそくへき術をとふ、嘉前つふさにこれをいふ、すなはち御前にめさ
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