『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.494

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而して予の考ふる所に依れば、其頭の内には、三十人以上立つことを得べ, せられしのみと答へたり、, 建てられしものなり、此像は脚を組みて〔裁縫師の如く〕坐せるが、其高さは, し、予は像の内部に入りしが、大なる家屋の大さありき、予は世界七不思議, ても、尚其銅を運ぶ能はざるべし、要するにこは實に驚くべきものなり、, 尚二十ヤード餘なるべく、又其膝より膝までは、十二ヤード餘もあるべし, 兩山の間なる谷にあり、堂は朽ちて全く存せず、而して四百八十年以前に, 或人は、此町が火及び硫黄を以て破壞されしと云へり、然れども予は之を, 然れども、予が最も驚きしものは、人々が大佛と稱する青銅の像なり、こは, ひ、又家の下僕に錢二百を與へたり、, の巨像よりも、此大佛の大なることを信ず、此像にありては、馬三千頭を以, の一にして、其破壞物を運ぶに、騒駝九百頭を要せしと稱せらるゝローヅ, 住民に尋ねしに、彼等はかゝる事を聞かず、たゞ戰爭の爲め燒かれ、又破壞, 我等は鎌倉より藤澤に赴きて宿泊し、夕食及び朝食の代として、二分を拂, ル、元年五月二十, 三日ノ條ニ收ム、, 鎌倉大佛, 元和二年八月二十日, 四九四, 元和二年八月二十日

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  • ル、元年五月二十
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  • 四九四
  • 元和二年八月二十日

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