『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.486

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定られしなり、, 土浦城主松平伊豆守信, は住持の定もなく、宥護にひとしく、老輩の僧をとゝめ置うれしなるへ, つすへきむ〓有しかと、淨門の知識と遠近の里民、歸敬強止有けれは、師も, かはり、奪僞妄諂の者はりりなるの旨、内々奏達し、自然の御用にもいらゝ, もたしりたしと止らる、依之後に師の高弟眞譽一諾上人をかの地に請せ, 直に當山へ歸山あられしならむか、此中間江戸崎に, も辭さられしなるへし、, との時、御感諾の上、傳通院は國師の弟子所化廓山へ被仰付, られ、歸依あられしを、家嫡安房守信吉の時に及ひ、淨眞寺を創建、菩提所と, し、いつれにも師の本心、當山を以本所位牌所と定置れし故に、傳通院を, 度々使者にて師を請待し、寺を彼地にう, 慶長十九年、元和兩度、大坂御陣の時供奉せられ、落去後、於伏見城黄金三十, 按るに、文祿二年より、善導寺住職あられ、慶長五年秋、彼山を辭して上京, し、, 前に合を見るへし, 世代を除去せるか、, 又は何となく御祝陣と申、善導寺を立出、伏見にて御目見もすみ、引つ, ゝき京へ出仕の所、台命により、再ひかの方へ歸山なく、御供せしなら, 慶長六, んか、故に善導寺にては、日々に師を待にまと、歸山なき故に、一山立腹し, むか、又は傳通院の御内沙汰なとありて、又大念寺に歸錫のらましなら, 年入部, 元和三年正月二十一日, 四八六

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  • 前に合を見るへし
  • 世代を除去せるか、
  • 又は何となく御祝陣と申、善導寺を立出、伏見にて御目見もすみ、引つ
  • ゝき京へ出仕の所、台命により、再ひかの方へ歸山なく、御供せしなら
  • 慶長六
  • んか、故に善導寺にては、日々に師を待にまと、歸山なき故に、一山立腹し
  • むか、又は傳通院の御内沙汰なとありて、又大念寺に歸錫のらましなら
  • 年入部

  • 元和三年正月二十一日

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  • 四八六

注記 (25)

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