『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.792

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共は相應の義と、板倉殿には被存ましき物ニても無之候也、, 葺屋町の事と聞ゆれとも、葺屋町へ引移たるは、元和年中, 談し、六條嶋原町, も無之候、乍去左樣成義も可有之哉と存る子細有之、文祿年中の由、上方ニ, の聚樂の御屋形の義も大破に及ひ、御家人衆の中に、押に打れて相果たる, きの屋形をゆり崩し、中居以下の女中五百人計も相果候ニ付、年寄女中、大, 衆なとも有之候と也、其節伏見小幡山城中にて、筑地の所にたちたる奧む, 閤の前に於て、今度の地震に、餘多の下女とも押にうたれ相果候ニ付、俄に, におゐて譽事に沙汰致したる砌なれは、評定所の給仕人に、茨原町の遊女, 者にてもあれ、餘多の人を急に召置候と有儀は成兼可申間、玄以法印に申, りの下女共を召抱へ候樣にと御申付候を、近ころ活氣なる御申付と、世上, おゐて、大地震のゆりたる義有之、京都大佛の像なとをもゆり崩し、權現樣, 其交りを召抱へ候と有義を、秀吉卿聞給ひて御申候は、いりに下女風情の, 〔北女閭起原〕東此よし原まちと言へるは, の傾城共を呼よせ召仕ひ、其内にらは, ○前節ニ、吉原町ノ遊女ノ傳, ○島原遊廓ハ寛永, 十八年ノ草創ナリ, 奏屋敷ニ出デタルコト見ユ, 落穗集追加ト同, ジキヲ以テ略ス, 奥向女中, 秀吉六條, ノ遊女ヲ, 代リニ使, 用ス, 元和三年三月是月, 七九二

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  • ○前節ニ、吉原町ノ遊女ノ傳
  • ○島原遊廓ハ寛永
  • 十八年ノ草創ナリ
  • 奏屋敷ニ出デタルコト見ユ
  • 落穗集追加ト同
  • ジキヲ以テ略ス

頭注

  • 奥向女中
  • 秀吉六條
  • ノ遊女ヲ
  • 代リニ使
  • 用ス

  • 元和三年三月是月

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  • 七九二

注記 (28)

  • 394,634,62,1795共は相應の義と、板倉殿には被存ましき物ニても無之候也、
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  • 764,630,60,482談し、六條嶋原町
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