『大日本史料』 12編 27 元和三年四月~同年八月 p.148

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與へたる領主并に部下の慈悲につき感謝し、且彼等の主君及び彼等の眼, へしが、伴天連は、神に恩寵を謝し、又兵士等に對ひ、此の如き異常の幸福を, られたり、其時彼は聖祭を行ひ、而して懺悔を聽きゐたるが、刑吏の來るを, が、遂にユダの徒に賣られて、カノコと云ふ土地の貧弱なる小屋にて捕へ, 見て、宥免の句を唱へ終りたり、役人等は、敬意を表して、彼に捕縛の命を傳, を開かしめ、又其行爲に對する罰を赦されんことを神に祈るべしと云へ, 島に徃くの危險を警告せしも、上長の命に從ふを可として、旅行を續けし, り、他の兵士等は、又伴天連スマラガの乘りし船を追跡せしが、遂に追及す, 督教徒訪問の爲め、彼を長崎より派遣せり、彼が平戸を通過せし時、諸人五, 同會の長老は、五島及び大村領フォカメの基, 一六一四年十一月、左兵衞は有馬口ノ津に於て、教徒數人を刑せしが、其時, を一人のイルマンと共に上津浦の島に匿ひしが、彼は其後島原に赴けり, 領及び五島の島嶼なりき, が布教せしは、主として大村, 二三年間、附近を巡廻して、日夜休息せざりしかば、病に罹りて、殆ど死に瀕, 伴天連の船は、該地を通過し、伴天連は同所に上陸せんとせしも、船夫は, せり、而して屡山間に潜伏し、岩石砂原の間にて、聖餐の式を行ひたりき、術, を諾せず、斯くて再び長崎に歸れり、當時長崎にては、迫害緩和せしが、彼は, く識られし爲め、止むを得ず、長崎に逃れたり、や〓教徒等は、出帆前二日、彼, 學を、媽港に於て神學を修め、一六〇九年、日本に渡り、同國語に熱達し、京都, 及び伏見に派遣せられ、一六一四年、彼は京都附近に留まらんとせしも、善, インブラに於て、耶蘇會に入り、中一六〇一年、印度に來り、ゴアに於て哲, を一人のイルマンと共に上津浦の島に匿ひしが、彼は其後島原に赴けり, 一六一四年十一月、左兵衞は有馬口ノ津に於て、教徒數人を刑せしが、其時, 元和三年四月是月, 一四八

割注

  • 領及び五島の島嶼なりき
  • が布教せしは、主として大村
  • 二三年間、附近を巡廻して、日夜休息せざりしかば、病に罹りて、殆ど死に瀕
  • 伴天連の船は、該地を通過し、伴天連は同所に上陸せんとせしも、船夫は
  • せり、而して屡山間に潜伏し、岩石砂原の間にて、聖餐の式を行ひたりき、術
  • を諾せず、斯くて再び長崎に歸れり、當時長崎にては、迫害緩和せしが、彼は
  • く識られし爲め、止むを得ず、長崎に逃れたり、や〓教徒等は、出帆前二日、彼
  • 學を、媽港に於て神學を修め、一六〇九年、日本に渡り、同國語に熱達し、京都
  • 及び伏見に派遣せられ、一六一四年、彼は京都附近に留まらんとせしも、善
  • インブラに於て、耶蘇會に入り、中一六〇一年、印度に來り、ゴアに於て哲
  • を一人のイルマンと共に上津浦の島に匿ひしが、彼は其後島原に赴けり
  • 一六一四年十一月、左兵衞は有馬口ノ津に於て、教徒數人を刑せしが、其時

  • 元和三年四月是月

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  • 一四八

注記 (26)

  • 385,669,64,2194與へたる領主并に部下の慈悲につき感謝し、且彼等の主君及び彼等の眼
  • 499,682,64,2177へしが、伴天連は、神に恩寵を謝し、又兵士等に對ひ、此の如き異常の幸福を
  • 728,671,66,2192られたり、其時彼は聖祭を行ひ、而して懺悔を聽きゐたるが、刑吏の來るを
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  • 612,668,66,2196見て、宥免の句を唱へ終りたり、役人等は、敬意を表して、彼に捕縛の命を傳
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  • 962,669,65,2195島に徃くの危險を警告せしも、上長の命に從ふを可として、旅行を續けし
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  • 1435,684,49,2168伴天連の船は、該地を通過し、伴天連は同所に上陸せんとせしも、船夫は
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  • 1639,687,49,2176く識られし爲め、止むを得ず、長崎に逃れたり、や〓教徒等は、出帆前二日、彼
  • 1761,676,52,2178學を、媽港に於て神學を修め、一六〇九年、日本に渡り、同國語に熱達し、京都
  • 1691,681,50,2182及び伏見に派遣せられ、一六一四年、彼は京都附近に留まらんとせしも、善
  • 1812,683,52,2176インブラに於て、耶蘇會に入り、中一六〇一年、印度に來り、ゴアに於て哲
  • 1572,687,50,2180を一人のイルマンと共に上津浦の島に匿ひしが、彼は其後島原に赴けり
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