『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.577

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一は、藤堂家に忍隱ると云も、彼家傳, とは知らざれば宣く、喜多が説は誤傳多かるべし、, 未だこれを知らず、, て、密に薩摩に往しとも云ふ、又彼家傳には、七大夫は伊賀の産とす、彼是混, 切り入る, 一は、途にて柳生但州に値ふ、これ無きに非ず、落城の時、柳生, 又近頃喜多湖遊が傳へしは、七大夫故郷筑前に歸るとも云ひ、又内旨を承, して、秀頼も此年内大臣となり、台席と婚す、されば何れも其由なし、, 右のこと、逸事と雖ども、不審なきこと能はず、, 慶長八年にして、太閤は他界の後なれど、神祖は御上洛、將軍宣下の御年に, を以て算するに、落城の年は、七大夫三十四なり、又二十二の年を以てせば、, 一は、大坂落城のとき、七大夫二十二歳と云こと、彼家傳と協はず、因て年表, 召出さるは、こと既に神祖の薨後にあり、されば此言其正を得ず、今春がこ, されども黒田如水、七大夫を神祖に吹擧すること、家傳に據に、七大夫, 大夫二十二歳のとき、大坂夏御陣にて、七大夫は眞田が手に加はり、御備〓, と違ふ、藤堂家何の縁りあるや、, 年四十五, 一カヽル、猿樂傳記ニ同ジ、, 黒田家, 譜に, 據る, ○中略、落城後赦免ノコト, 矩, と云、, 藩, 翰, 宗, ニ關スル, 夫ノ履歴, 喜多七太, 疑, 元和四年八月二十八日, 五七七

割注

  • 一カヽル、猿樂傳記ニ同ジ、
  • 黒田家
  • 譜に
  • 據る
  • ○中略、落城後赦免ノコト
  • と云、

頭注

  • ニ關スル
  • 夫ノ履歴
  • 喜多七太

  • 元和四年八月二十八日

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  • 五七七

注記 (33)

  • 1086,648,57,1039一は、藤堂家に忍隱ると云も、彼家傳
  • 506,637,59,1486とは知らざれば宣く、喜多が説は誤傳多かるべし、
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