『大日本史料』 12編 33 元和六年正月~同年六月 p.549

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太刀をもりそ、中根を切、中根槍をすて、太刀を拔て切合、こまより先、矢田, を追拂て退歸を、高綱其夜死す、矢を拔て是をみもば、内藤甚市と書た〓, 一番槍の者有時は、二番槍はめづらしからず、太刀をものて切崩すべし、, そいはく、大權現今まさに至給はんとす、敵すへからさに將なりといひ, 槍をもつそ是をつく、守綱太刀をもつて是にむかふ、河澄引退、父高綱來, て引退、時に矢にあたりそ疵をかうふる、守綱是を肩にろけて、むかふ敵, たり、二月十三日、石川又四郎、根來十内、布施孫左衞門等、道のかたはらに, 作十郎、蜂屋半丞、覧助大夫、其外勇士相集そいはく、をよそ戰場にをひそ, 大權現針崎御出馬の時、中根喜藏一揆の輩と槍を合す、守綱、槍下に走入、, 見て、中根が足をなき、走出、鵜殿と切合、守綱疵をかうふるといへとも、遂, かるがゆへに太刀をもちゆ、時に鵜殿十郎三郎名乘かゝに、守綱これを, に鵜殿を切たをし、其首をとらんとする所に、河澄文助うしろより來り、, 源次また安倍を射る、其時敵一人かけ出、守綱かの者を城戸口まて追込、, も宗旨たにゆへをもつそ、一揆にくみし、上和田のかけ合に、一番に槍を, 合す、時に安倍四郎兵衞かまへの中より矢をはなち、守綱が腰を射、渡邊, 元和六年四月九日, 元和六年四月九日, 五四九

  • 元和六年四月九日

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  • 五四九

注記 (18)

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