『大日本史料』 12編 33 元和六年正月~同年六月 p.554

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きすそに〓折、太刀をぬいそ一人を切、是より旗本に至、小幡の城に入、軍, 散しそのち、大權現、守綱をよび大久保次右衞門に命じて、軍士の甲乙を, をまもる、同十八年、相州小田原御陣の時、足輕をひきひそ旗本に在、大權, 落す、後に守綱をよび大久保次右衞門、水野左近大夫に命しそ、松島の近, 現關東を領し給ふ時、二千石をくはへすまはり、武州比企郡にをひそ、都, はしむ、守綱足輕等をひきひて黒田に至り、本丸をまもを、澤井は二の丸, 州九部一揆起る時、秀次會津に陣取、大權現岩手澤に陣取たまふ、九部沒, つる、上杉景勝を追討のため奧州に御進發のとき、大坂西の丸にをひそ、, 屋に御在陣、此時守綱、足輕をひきひそ供奉、慶長三年、秀吉薨逝のゝち、大, 僉議せしむ、同年、澤井左衞門、織田信雄の爲に、尾州黒田の城をまもる、淺, 合三千石を拜領し、足輕三十人を預る、前と共に五十人なり、同十九年、奧, 權現伏見ならびに大坂にましますとき、常に御近邊にそたかへすそま, 邊にまはりて、制法を定しむ、文祿元年、朝鮮を征すを時、大權現肥州名護, 野彌兵衞、木村常陸等、川を〓だてゝ陣取、大權現、守綱に命じて、是をすく, 諸大名〓見しとそまりを時に、守綱をめして、南蠻鎧をたまふ、又足輕五, 元和六年四月九日, ノ戰, 小田原ノ, ノ城ヲ守, 尾張黒田, 肥前名護, 陸奧九戸, 役, 屋ニ出陣, ス, 五五四

頭注

  • ノ戰
  • 小田原ノ
  • ノ城ヲ守
  • 尾張黒田
  • 肥前名護
  • 陸奧九戸
  • 屋ニ出陣

ノンブル

  • 五五四

注記 (26)

  • 1822,723,61,2095きすそに〓折、太刀をぬいそ一人を切、是より旗本に至、小幡の城に入、軍
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