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と號す、翁をして住しめ、祿三百石を賜ふ、其地は今の府城の北麓六箇所宅, 島津久通官署に於て命を傳ふ、翁恩を謝し、對へて曰、臣は出家なる故、一身, て歸らむことを請ふ、遂に是を許し、養老の俸として、祿二百石を賜ふ、藩相, 乞ふて本邑に歸る、, 地是なりといふ、翁經を講じ、君道政事に至つて、顏を犯し直言し、忠盆を弘, を知り、今に至て、國中十分の八は、文之點の四書を用ゆといふ, 其講義を聽く、郭内に一寺を創建し、本佛寺, 翁を迎へ至る、經を講ずること始めの如し、其後衰老を以て、〓に職を辭し, 翁居ること三年にして、本邑に歸, めける、公素より寛弘の量なれば、甚信用し玉り、正保元年、翁病ありて、暇を, る、祿を郷黨に賑すこと始めの如し、既にして寛陽公命ありて、翁を本府に, 明年、復船を遣して、, 召す, 貴藩の如竹是其人なりと、公因, て翁を召て、經を聽くといヘり, 前に出せる藩相島津久元、山田有榮, 六月五日の書は、此時の事なるべし, 和讀兼習ふといヘども、其外首里都及び, と數十百部に至る當時文之點の板行四書少き故、買ひ盡せしかば、新に板, に贈る文に、先是五六年前、有官命、使予至〓府云々の語あり、正保乙酉, 尚育、賀慶使を江都に遣す、大坂に於て、琉球人、文之點の四書を買ひ歸るこ, 蓋翁を本府に召せしは寛永十七年なり、正保二年乙酉、翁の愛甲喜春, に搦らしめて買ひしなり、是琉球は文之點を尊ふ故なりとぞ、翁の文之點, より逆に數れば、五六年前は寛永十七年に當る、藩人の口碑に曰、寛陽公江, 壬寅、中山王, を琉球に弘めし證を見るべし、其和漢音讀法の如き、久米村の學校は、唐音, 都にあり、水戸侯光圀に問曰、今儒を學びんとす、當時誰をか師とせん、侯曰、, 國中は、和讀の訓點本をもちゆといふ、, 天保十三年, 如竹鹿兒, 島本佛寺, 如竹ヲ招, 島津光久, ノ開山ト, ナル, ク, 元和六年九月三十日, 四一二
割注
- 貴藩の如竹是其人なりと、公因
- て翁を召て、經を聽くといヘり
- 前に出せる藩相島津久元、山田有榮
- 六月五日の書は、此時の事なるべし
- 和讀兼習ふといヘども、其外首里都及び
- と數十百部に至る當時文之點の板行四書少き故、買ひ盡せしかば、新に板
- に贈る文に、先是五六年前、有官命、使予至〓府云々の語あり、正保乙酉
- 尚育、賀慶使を江都に遣す、大坂に於て、琉球人、文之點の四書を買ひ歸るこ
- 蓋翁を本府に召せしは寛永十七年なり、正保二年乙酉、翁の愛甲喜春
- に搦らしめて買ひしなり、是琉球は文之點を尊ふ故なりとぞ、翁の文之點
- より逆に數れば、五六年前は寛永十七年に當る、藩人の口碑に曰、寛陽公江
- 壬寅、中山王
- を琉球に弘めし證を見るべし、其和漢音讀法の如き、久米村の學校は、唐音
- 都にあり、水戸侯光圀に問曰、今儒を學びんとす、當時誰をか師とせん、侯曰、
- 國中は、和讀の訓點本をもちゆといふ、
- 天保十三年
頭注
- 如竹鹿兒
- 島本佛寺
- 如竹ヲ招
- 島津光久
- ノ開山ト
- ナル
- ク
柱
- 元和六年九月三十日
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- 四一二
注記 (38)
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