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この年三月十一日、, を赦免せり、師父は又伊勢、三河、遠江の諸國を歴訪せり、駿河は同名の國の首都なり、この, に於いて大いに激勵せり、, が、領主は彼等の死に就かんとするを見て、優秀なる家臣を失ふことなからん爲め、彼等, 地に滯在せり、, 江戸に送られしが、途中, の裡に死に就けり, 地に於いて、キリスト教徒等の中最も優れたるものあり、市外に住み、二人の聖なる人物, せられつゝ、何れも熱烈なる説教と、その身を以て示す教訓とによりて、人々を信仰の中, 近江、美濃及び尾張を通過せり、一の宮の新なるキリスト教徒は領主より脅迫せられし, ランコが引用せる一書翰中彼の一六二〇年, によりて、救濟の道に誘はれたる悲慘なる癩患者の群なり、その二人は、一六一五年, せし者なりき、イエス・キリストの告白者として、二人を畏敬せる信徒の群によりて扶養, 關東に於いては、師父フェルナンデは三島を訪れ、相模を經て、江戸に達し、五十日間その, ラエルシオの率ゐる記念すべき遠征に參加し、一六〇二年, 内府樣の代に、十指を切取られ、膝の筋を斷たれしが、なほこの苦痛に能く堪へて生存, 江戸の近郊に於いて、耶蘇會師父マノエル・バレトは窮迫, の研鑽を終へたり、一六〇六年, にはド・セルケイラ師の伴侶なりき、一六一四, ーンドに向けて出發し、ゴアに於て、哲學及び神學, ・の布教に就きて記せしものあり、, 、一日本に渡航せり、この布教に當りて、彼の熱情は極めて烈しく、以後求めて異名, を附し、日本人ベント・フェルナンデと稱したり、日本に在ること二十七年、師父フ, 年、日本に在ること三十年、一六〇三年, 彼はポルト大司教區なる伯爵領テラ・フェイラに生る、五十六歳、耶蘇會に在ること三十一, ○元和六年二, ○元和, 月八日ニ當ル、, 元年ニ, ○元和六, 年ニ當ル, 當, 年ニ當ル, ○慶長十一, ○慶長八, 年二當ル, ル, ○慶長七, 年ニ〓ル、, 彼はポルト大司教區なる伯爵領テラ・フェイラに生る、五十六歳、耶蘇會に在ること三十一, 年、日本に在ること三十年、一六〇三年, の布教に就きて記せしものあり、, を附し、日本人ベント・フェルナンデと稱したり、日本に在ること二十七年、師父フ, ばれと窮, 過ス, 免ス, ニ抵ル, 尾張ヲ通, 十七年, ト五十日, 近江美濃, ヲ歴訪ス, ふえるな, ルコト一, 在スルコ, んで伊勢, 江戸ニ滯, 迫ノ裡ニ, んで三島, まのえる, ふえるな, 日本ニ在, 死ス, 三河遠江, 教徒ヲ赦, 徳川義利, ケル教徒, 駿府ニ於, 元和六年是歳, 一〇九
割注
- ○元和六年二
- ○元和
- 月八日ニ當ル、
- 元年ニ
- ○元和六
- 年ニ當ル
- 當
- ○慶長十一
- ○慶長八
- 年二當ル
- ル
- ○慶長七
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- 彼はポルト大司教區なる伯爵領テラ・フェイラに生る、五十六歳、耶蘇會に在ること三十一
- 年、日本に在ること三十年、一六〇三年
- の布教に就きて記せしものあり、
- を附し、日本人ベント・フェルナンデと稱したり、日本に在ること二十七年、師父フ
頭注
- ばれと窮
- 過ス
- 免ス
- ニ抵ル
- 尾張ヲ通
- 十七年
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- 近江美濃
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- んで伊勢
- 江戸ニ滯
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- んで三島
- まのえる
- 日本ニ在
- 死ス
- 三河遠江
- 教徒ヲ赦
- 徳川義利
- ケル教徒
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柱
- 元和六年是歳
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- 一〇九
注記 (70)
- 425,636,58,455この年三月十一日、
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