『大日本史料』 12編 38 元和七年六月~同年十一月 p.103

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へ、西國の諸勢を引ゐて、藝州廣島に發向す、先備中の笠岡に至て、使者を廣島の城につか, 則、罪有て國を沒收せらるゝ時、重信、永井右近直勝と同く上使として、子重長をたつさ, かに沙汰をいたし、ゆるかせにすべからずといふ、こゝにおゐて、土藏へ火をはなちけれ, 秀頼、其母と同じく城を出んとして、輿二丁をこひもとむ、すなはち輿一丁・馬一疋をあた, ば、秀頼・同く母、ならひに修理・甲斐守等燒死す、其後重信、釣命に依て、備前島に殘りとゝ, 長も又其兵を引ゐて供奉、敵すでに敗北し、城つゐに落居しけれは、秀頼、其母をともな, ふ、二たひ輿をこふ、直孝・重信、又其事をはからんとする時、大權現の御使者來て、すみや, 國山上にて、二万石の御加増をたまはつて、三万五千石を領す、同五年、福島左衞門大夫正, ひ、土藏の内ににげかくる、時に井伊掃部頭直孝、討手をうけたまわり、重信〓使たり、重, まる事廿日あまり、諸事を沙汰して、京都に歸る、同年八月、常陸國鹿島・下野國結城・近江, 斐守、則大野修理と相はかつていはく、秀頼降參したまはは、命をまつたふすべし、こゝに, 甲斐守をまねきよせていひけるは、秀頼もし降參せば、母ともに死をゆるすへし云々、甲, 信・直孝相はかつて、秀頼をあさむきて大路へ引出し、諸軍に見せていけとらんとて、速水, 元和七年六月二十九日, 及て、合戰すへきの時刻を言上し、則台駕をすゝむ、重信御左右に在て、諸軍を下知す、重, 二萬石加増, 江等ニ於テ, 常陸下野近, セラル, 一〇三

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  • 二萬石加増
  • 江等ニ於テ
  • 常陸下野近
  • セラル

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  • 一〇三

注記 (20)

  • 298,658,59,2152へ、西國の諸勢を引ゐて、藝州廣島に發向す、先備中の笠岡に至て、使者を廣島の城につか
  • 419,638,62,2170則、罪有て國を沒收せらるゝ時、重信、永井右近直勝と同く上使として、子重長をたつさ
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