『大日本史料』 12編 39 元和七年十一月~同年十二月 p.154

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いゝ、鑓と申、誠に比類なき御事にて候と、御とりあはせありけれは、家康公聞し召れ、其, は、有樂畏て、ありかたき上意にて候、老人に似合さる任〓、さそおかしく思召れんと存し, 御側衆に渡されけれは、家康公御手にとらせられ、鞘を御はつしなされけるか、御取落し, は、有樂父子今日の高名、今に初めぬ事なれ共、比類なき事と、はなはた御褒美の御詞あれ, に子息河内守、武藏守か兜を左の方ゟ右の方へ〓拔れたるか、其鎗少しも損せす、高名と, 鑓を御覽なさるへき上意也、有樂齋かしこまりて、御次へ立て、家來に持せたる件の鑓を, る道具也、大業しけるも理り也、千子村正かと上意あり、有樂かしこまり、いかニも村正に, 候へとも、老後の思ひ出こ、少々敵の中へ打ましり候と、御請申されけり、其席に井伊直, 織田源五郎長盆入道有樂・同子息河内守はしはらく跡に殘りける、時に家康公宣ひける, 政本多忠勝罷在りけるか、今日有樂、戸田武藏守と申かくれなき大剛の猛將との働き、時, て候と申上らるゝ、御手に少し疵付ける間、是を憚りけるか、已來此鑓は持せましき由を, なされける時、少し御指にさはりたり、少しも御構ひなく、得と鑓を御覽有て、誠に見事な, 一太神君關ケ原御利運に成り、諸大將御祝義を申上られ、各退出あり、, らきしたると也、, 〔校合雜記, 元和七年十二月十三日, 三十, 四, ル有樂父子, ノ戰功, 關原ニ於ケ, 村正ノ鎗, 長孝所持ノ, 一五四

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  • 三十

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  • ル有樂父子
  • ノ戰功
  • 關原ニ於ケ
  • 村正ノ鎗
  • 長孝所持ノ

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  • 一五四

注記 (24)

  • 822,687,64,2153いゝ、鑓と申、誠に比類なき御事にて候と、御とりあはせありけれは、家康公聞し召れ、其
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