『大日本史料』 12編 43 元和七年雑載 p.119

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はんとする中國人及び日本よりマカオに向けて出帆すべきフレガッタ船を警戒する事と, き事を、又神の赦し給はば、同地に在るものを見る事とせり、, 布教關係の人々と、未經驗の人々とを乘せたるものと推察す、兵士等は能ふ限り之を確, 事實我等には船舶は不足を告げ居れり、, の人員と現金とを齎したり、同船は三百ラストのスヒップ船なりし由なり、二艘のスヒ, 七月二十九日, ーコーン號が〔準備完了を俟ちて〕共に出帆し、〓州附近を遊弋して、將にマニラに向, 同地を遊弋し、同地に留り、その後全勢力を擧げてマニラに向ひ、同地に於て爲し得べ, せり、而して前述の如く十二月一日に出帆する豫定の船隊と目的地に於て合流する迄、, 九月二十五日, るべし、カルペンティール氏の考によれば、我等には船舶の缺乏せる事無きが如きも、, ップ船が、再びノヴァ・エスパニアに向け歸航せしが、同船は最も小型の船にして主に, この船隊に就きては、我等の側よりスヒップ船ムイデン號、イギリス人の側よりはペパ, ロメイン氏より聞知せしところによれば、曩に述べしジャンク船の出帆より二日の後、, に、ノヴァ・エスパニアより銀の船マニラに到著し、多數, に長崎より當地に來りたる一オランダ人、フィンセント・, ○元和七年八, 月十日二當ル, ○元和七年六月, 十一日二當ル, のがあえす, ぱにあノ銀, 船まにらニ, 來航ス, 豫定, 船隊ノ採ル, ベキ行動ノ, 元和七年雜載, 一一九

割注

  • ○元和七年八
  • 月十日二當ル
  • ○元和七年六月
  • 十一日二當ル

頭注

  • のがあえす
  • ぱにあノ銀
  • 船まにらニ
  • 來航ス
  • 豫定
  • 船隊ノ採ル
  • ベキ行動ノ

  • 元和七年雜載

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  • 一一九

注記 (29)

  • 1300,596,63,2131はんとする中國人及び日本よりマカオに向けて出帆すべきフレガッタ船を警戒する事と
  • 968,590,59,1501き事を、又神の赦し給はば、同地に在るものを見る事とせり、
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  • 1648,597,58,952事實我等には船舶は不足を告げ居れり、
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