『大日本史料』 12編 45 元和八年六月~同年七月 p.275

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

なりき、, 徒等は許可を得て之を鄭重に埋葬せり、, 彼等は燒かれたり、寧ろ文火にて焙られしものなりしが、其の間聊も動く事無く不撓不, この内最後の十人は商人なりき、, を天に注ぎしが、天は〓に彼等を迎へんとして其の門戸をば開きたり、二時間に亙りて, 番卒の嚴重なる監視の下に四日間蔽はるゝことなく留め置かれたり、其の後キリスト教, 斯くて此の貴き生贄は屠られたり、續いて他の生贄の周圍に火は放たれたり、彼等は眼, 遠なる安息の地へ飛び立ちたり、時宛かも一六二二年八月十九日, 屈の感歎すべき誠實の模範をば垂れたり、斯くて暫時の苛責の後火〓の中より彼等は永, 十二人の首は刑柱の上方、小高き場所に曝されたり、聖なる遺骸は積み重ねられし儘、, 〓一六二二年日本に於て行はれたる大殉教の報告〕, 十二マルコ, 十一バルトロメオ・モフィヨーエ, (歐文材, 十ジョワンニ・マシチ, ル、元和八年八月五日ノ條ニ收ム、, ○下略、同年ノ大殉教ノコトニカヽ, ○元和八年七月, 十三日ニ當ル、, 一六二四年、マ, ドリード刊〓, ジョワンニ・ヤンゴ, 間放置セラ, ヲ附シ四日, 首級ヲ曝ス, 遺骸ハ監視, つにが等火, 刑ノ模樣, 元和八年七月十三日, 二七五

割注

  • ル、元和八年八月五日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、同年ノ大殉教ノコトニカヽ
  • ○元和八年七月
  • 十三日ニ當ル、
  • 一六二四年、マ
  • ドリード刊〓
  • ジョワンニ・ヤンゴ

頭注

  • 間放置セラ
  • ヲ附シ四日
  • 首級ヲ曝ス
  • 遺骸ハ監視
  • つにが等火
  • 刑ノ模樣

  • 元和八年七月十三日

ノンブル

  • 二七五

注記 (30)

  • 781,2711,50,189なりき、
  • 430,688,57,1005徒等は許可を得て之を鄭重に埋葬せり、
  • 1008,680,57,2252彼等は燒かれたり、寧ろ文火にて焙られしものなりしが、其の間聊も動く事無く不撓不
  • 1360,693,52,811この内最後の十人は商人なりき、
  • 1124,683,58,2246を天に注ぎしが、天は〓に彼等を迎へんとして其の門戸をば開きたり、二時間に亙りて
  • 544,686,58,2253番卒の嚴重なる監視の下に四日間蔽はるゝことなく留め置かれたり、其の後キリスト教
  • 1239,682,59,2253斯くて此の貴き生贄は屠られたり、續いて他の生贄の周圍に火は放たれたり、彼等は眼
  • 776,689,57,1674遠なる安息の地へ飛び立ちたり、時宛かも一六二二年八月十九日
  • 893,684,57,2250屈の感歎すべき誠實の模範をば垂れたり、斯くて暫時の苛責の後火〓の中より彼等は永
  • 660,691,58,2209十二人の首は刑柱の上方、小高き場所に曝されたり、聖なる遺骸は積み重ねられし儘、
  • 296,673,75,1717〓一六二二年日本に於て行はれたる大殉教の報告〕
  • 1477,685,50,326十二マルコ
  • 1586,686,55,902十一バルトロメオ・モフィヨーエ
  • 306,2745,54,195(歐文材
  • 1711,734,51,626十ジョワンニ・マシチ
  • 414,1736,44,654ル、元和八年八月五日ノ條ニ收ム、
  • 456,1727,47,672○下略、同年ノ大殉教ノコトニカヽ
  • 805,2391,43,294○元和八年七月
  • 761,2391,42,262十三日ニ當ル、
  • 330,2411,46,271一六二四年、マ
  • 297,2392,32,224ドリード刊〓
  • 1826,865,46,490ジョワンニ・ヤンゴ
  • 484,344,41,213間放置セラ
  • 528,349,39,212ヲ附シ四日
  • 673,343,44,209首級ヲ曝ス
  • 569,343,44,220遺骸ハ監視
  • 1268,347,40,210つにが等火
  • 1221,344,43,171刑ノ模樣
  • 194,771,45,389元和八年七月十三日
  • 194,2467,42,124二七五

類似アイテム