『大日本史料』 12編 46 元和八年七月~同年八月 p.365

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て集りたる人々なりき、, レは平戸に連行せられたり、, 物せしめんと欲したり、無數の群衆の中には、世界の果より來りし多數のヨーロッパの, 先立たしむる目的を以て、斯くも長期に亘りて捕はれ居りしものなり、, ランダ及びイギリスの船舶十三隻碇泊せしが、人々は此の異國の人々に處刑の状況を見, 臨みたり、四周開けて、眺望勝れたる地點なりき、海より百歩隔たりたる場處に柵を廻, 異教徒等有りしが、彼等の父祖に依りて棄てられたるカトリックの教の勝利を見んとし, れ居りしが、其處にて長崎の奉行の判決を待ちたるなり、皇帝より直接發せられたる指, 指定せられたる場所は田平なりき、此の地は平戸と相對し、城と町とを隔てたる入江に, 令は、かの三人を長崎に於て斬首し、かのパードレを平戸にて火刑に處すべき旨を命じ, 此の囚〓たりし修道士は、最も罪重き者として、最後にヨーロッパより來りたる人々に, パードレ・コスタンツォの處刑は最も嚴肅を極めたるものなりき、當時長崎の港にはオ, たり、されど三人の者は〓に殉教せし後なりき、而して九月十五日, パードレ・コスタンツォは、久しき以前より他の三人の囚人等と共に平戸の牢獄に移さ, パード, ○元和八年八月, 十日ニ當ル, 蘭英人モ處, 長崎寄港ノ, 刑ヲ目睹ス, おノ殉教, こすたんつ, ぱーどれ・, 元和八年八月五日, 三六五

割注

  • ○元和八年八月
  • 十日ニ當ル

頭注

  • 蘭英人モ處
  • 長崎寄港ノ
  • 刑ヲ目睹ス
  • おノ殉教
  • こすたんつ
  • ぱーどれ・

  • 元和八年八月五日

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  • 三六五

注記 (25)

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