『大日本史料』 12編 46 元和八年七月~同年八月 p.483

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く述べたり〕、船中に在りては、我は多數の病者と關り合ふ事を多く避けしには非ざ, の航海の途中に於て死し、海原に葬られし事を敍べ、而して己自身の事に立〓りて斯, 總べての此の船上の人々と病院の人々の告解を聽くてふ重勞働の爲め、我は我が生涯, だ重大にして致命的なる他の疾病に我等が無疵なる事を望み給はず、爲めに船内に在, れど、常に健かにして彼等の總べてを世俗的竝びに靈的の治療を以て救濟し、又時と, にては極めて危險なる日向歩きを爲し、且つ、復活祭の義務として聖體を授かるべき, は、蓋し神が御旨に叶ひし事と言ふべし、されど天主は、此の惡疫の後に生じたる甚, 全く意識を失ひ居りしも、二三の詩篇各一節を我と倶に詠唱せり、そは我等の思ふだ, して百名以上の病人の世話をも爲せり、然るに我はモザンビーコに於いて、此の地方, 彼は、續けて、我等が朋輩の他の三人が、一人はモザンビーケにて、他の二人は爾後, に不憫にして〓滂沱たるを禁じ得ざりしも、少からず慰藉せらるゝ處ありき〔此の後, め死に至りたる者纔か十五人にして、且つ彼等の告解を聽きたる我等の無傷に過せし, りし凡そ七十人の者と我等が同僚の二人即ちパードレ・フェリーチェ・アルジェーリ, オとパードレ・アルフォンソ・アルヴァレスとは死亡せり、後者は臨終の當夜、〓に, 元和八年八月五日, るふおんそ, ニ罹ル, す兩ぱーど, えりお、あ, え・あるじ, ニ於テ熱病, もざんびく, あるばれ, ふえりーち, れノ死, 元和八年八月五日, 四八三

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  • るふおんそ
  • ニ罹ル
  • す兩ぱーど
  • えりお、あ
  • え・あるじ
  • ニ於テ熱病
  • もざんびく
  • あるばれ
  • ふえりーち
  • れノ死

  • 元和八年八月五日

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  • 四八三

注記 (27)

  • 782,741,60,2180く述べたり〕、船中に在りては、我は多數の病者と關り合ふ事を多く避けしには非ざ
  • 897,746,60,2174の航海の途中に於て死し、海原に葬られし事を敍べ、而して己自身の事に立〓りて斯
  • 316,736,58,2175總べての此の船上の人々と病院の人々の告解を聽くてふ重勞働の爲め、我は我が生涯
  • 1595,745,64,2182だ重大にして致命的なる他の疾病に我等が無疵なる事を望み給はず、爲めに船内に在
  • 667,744,61,2171れど、常に健かにして彼等の總べてを世俗的竝びに靈的の治療を以て救濟し、又時と
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