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邊に居し給ひ、賢父の遺城をうけ續れ、采地三萬五千石の民戸をあらためられ、地圖を, かゝせ、郭内諸臣の屋敷を分限にしたがひ移しかへ按堵せしめ、明年寛永三丙寅年二月, のこゝろへ、一日庶臣等をめされていわく、夫れ武身はひとへに文武の兩道をふかく心, に懸べきなり、たとへば鳥の兩翼のごとし、若隻翅かけぬれば飛翔する事あたはず、武, 十五日、領地神社佛寺の寄附状をあらため出され、舊事唯故を温られ、新を知られんと, いひて、その采地七萬五千石にて、寛永二乙丑年、宮津城に移り給へり、二男修理太夫高, 京極修理大夫高三は、, 花の榮に異らず、元和八壬戌秋八月十二日に遠行し給ひ、法名を稱して、瑞泰院殿眞巖, 三は三萬五千石にて、田邊の古城に居給ふ、三男は同國峯山に移り、壹萬千百石を領ぜ, らる、このゆへに一國十二萬千百石は三分となれり、しかるゆへ次男修理太夫高三、田, 京極丹後守高知の子なり、長男は丹後守高廣と, 士なをかくのごとし、一道かくる時、武功を樹がたし、役務の暇には聖經・兵書を見, て、其源底を探べし、禹王だにも寸陰を惜給へり、いかんぞ庶生のいたずらに光陰を送, 道可大禪定門といへり、今見樹寺境奥に靈廟の一宇是なり、, 京極修理大夫高三分領之事, た高治とも名乘れり、, 始め高行と名乘り、, ニ移ル, 廟ヲ建ツ, ニ住ス, 高通峯山ニ, 移ル, 高廣宮津城, 地圖ヲ書カ, 高三田邊城, 見樹寺ニ靈, シム, 元和八年八月十二日, 三〇
割注
- た高治とも名乘れり、
- 始め高行と名乘り、
頭注
- ニ移ル
- 廟ヲ建ツ
- ニ住ス
- 高通峯山ニ
- 移ル
- 高廣宮津城
- 地圖ヲ書カ
- 高三田邊城
- 見樹寺ニ靈
- シム
柱
- 元和八年八月十二日
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- 三〇
注記 (29)
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