『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.74

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共御談合有て然へしと、兩人同道にて修理亮康豐公へ言上あれは、匠作聞召て、尤の, 中下共に迷惑に及はん事疑ひなし、されは日來の情、主從の禮儀、縮る所のせんに立, 足を用捨なさせ、其中以才覺皆濟の外不能分別、然は當時其主こへ拂理へき銀、古・, 新貳三百貫目も入へし、其金銀いかゝして出來申へき、倩事の心を案するに、先年侍從, 一豐公より國中之侍請重恩、身躰無恙相傳り、民直成政以今無別儀、忠義公萬端に, 不足まし〳〵、公儀の役急に成ては、御身躰いかゝあらん、さる時は一國の諸人、上, いかゝあらんと申されけれは、主計頭尤此儀然へしと、即、匠作公へ言上なし、各老中, 丹羽守申されけるは、此身不肖にして歴を指越憚とは存といへ共、心底を愼ては金銀に, 馬守・主計頭・丹波守・都合拾四人御談合有に、誰以是そ然へか覽と云人なし、其時, 事、何の道も同前たり、御領國中士濃工商、一端苦をなして此度の御用に立進ん事、, 心底、無餘儀、さらは御談合有へしと、老中を召よせ給ふ、先長男山内備後守、御老, 成事御座有まし、主君の御爲なれは私の一存を言上申ス、先年當の主護人長宗我部元親, 内吉兵衞良豐公・深尾和泉守・同養子出羽守重昌公・山内左衞門佐・山内右近・同但, 中ニ深尾主水正・寺村淡路守・野こ村大學頭・百こ出雲守・市川織部祐、城持衆ニ山, 元和八年八月十四日, 于孝ノ意見, 元和八年八月十四日, 七四

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  • 于孝ノ意見

  • 元和八年八月十四日

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  • 七四

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