『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.66

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り、其普請天井を釣りて下へ落る事は、大地震の用心故に、下の地形は堀はかして、根は其, る故、加恩度こ可賜所を固辭して不請、恩録高けれは奢り付、是古今人情と申す由を申され, て、采地貳萬石を越へ不給、其子上野介正純も、幼少より大神君駿州にて被召仕、後者老中, 人、夜通シ還御、夜既ニ明テ後、還御之由披露アリ、供奉之面と不知子細ヲ、アキレテ騷動, 本多上野介正純は佐渡守正信嫡男也、佐渡守は元來小身成者也しか、賢才にして萬事の考あ, 共、大老とも、御用達共、何角の御用一人にて御側近く近仕し、領知段と加恩有て、登庸凡, 事潛ニ言上ス、其夜中俄ニ宇都宮ヲ有出御、趣江戸玉フ、是ヲ知人ナシ、供奉僅ニ不過六七, 普請丈夫にセし事、一こ非難申セは、云譯不立儀共也、是過たるは不及か如しと古語の心な, 然ニ今度、被收宇津宮、被遠流、若加樣之事爲重過、斯被遠流哉ト、世ニ申之、不, シ、追〻馳行、亭主モ興覺テ忙然タリ、其后、正純〓病氣暫不出仕、, 〔聞書雜和集〕, 節、反逆之沙汰にて沒收セらる、是は將軍の御旅館なれは、萬事丁嚀の上、且御用心の爲と, 知其實、, を超越して、台徳公御代には、既に宇都宮十五萬石を領す、元和, 年、大相國日光御成の, 日ノ條ニ, ○元寛日記・下曾根日記・元延, 實録・校合雜記等異事ナシ, ○秀忠、遽ニ日光ヲ發シ。, 見ユ, 江戸ニ歸ルコト、四月二十, 壬, 吊天井, 元和八年十月一日, 六六

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  • 日ノ條ニ
  • ○元寛日記・下曾根日記・元延
  • 實録・校合雜記等異事ナシ
  • ○秀忠、遽ニ日光ヲ發シ。
  • 見ユ
  • 江戸ニ歸ルコト、四月二十

頭注

  • 吊天井

  • 元和八年十月一日

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  • 六六

注記 (25)

  • 197,703,60,2232り、其普請天井を釣りて下へ落る事は、大地震の用心故に、下の地形は堀はかして、根は其
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