『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.295

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て是をすてゝ逃去、, 元和元年大坂再亂のとき、五月五, へられて是をやぶるべし、しかりといへども、味方も又ひさしく居るべき地にあらず、若, しめば、城中の兵すくふ事あたはじ、しからばかならず逃さらん、輕兵をもつて二人にそ, 日、台徳院殿、須奈に陣取たまふ、, へし、兵士をして堤の上にをひてふせきたゝかはしめ、且、堤の左右より、鐵炮をはなた, これをやふらんとせば今夜これをもよほすべし、その故は、味方の大軍うしろにあれば的, の東、鴫野口の堤に出て二三ケ所に柵をかまへ、兵士をして是をまもらしむ、台徳院殿、, 人これをうかゞひみるべしとなり、爰にをひて二人これをみて答ていはく、尤たやすかる, 陳の下知をなさしむ、同十九年、大坂御陣のとき台徳院殿にしたがひたてまつる、敵兵城, よしをつく、台徳院殿、康勝をよび久世三四郎・本多三彌を御使として藤堂和泉守高虎・, 廣勝をよび久世三四郎を召問てのたまはく、柵を敗て敵を追事はたやすからんや、汝等二, 日かならす仕寄をつくべし、しかるにをひては敵兵定て引退べしといふ、その夜敵はたし, 後、上總國横田村三百石の地を給ふ、, 慶長五年九月十五日、關ケ原合戰のとき、大權現、廣勝をよび久世三四郎をして後, 翌日早朝、八尾表へいづる, 元和八年十一月二十日, 慶長十九年十一月二十六日ノ條ニ見ユ, 元和元年五月五日ノ條ニ見ユ、, ○廣勝、鴫野口堤ノ偵察ヲ命ゼラルヽコト, ○秀忠、河内砂ニ陣スルコト、, ノ條ニ, ニ、上總久留里城ヲ大須賀康高ニ與フルコト、同年八月十五日, 見ユ, ○家康、關東八國ヲ與ヘラルヽコト、天正十八年七月十三日ノ條, 從軍ス, 大坂冬陣ニ, ニ秀忠ノ命, 大坂夏陣ニ, 秀忠ニ扈從, 鴫野口ニ敵, 情ヲ偵察ス, 後陣ヲ指揮, 藤堂高虎等, 關ケ原陣ニ, 百石ヲ領ス, 上總ニテ三, ヲ傳フ, ス, ス, 元和八年十一月二十日, 二九五

割注

  • 慶長十九年十一月二十六日ノ條ニ見ユ
  • 元和元年五月五日ノ條ニ見ユ、
  • ○廣勝、鴫野口堤ノ偵察ヲ命ゼラルヽコト
  • ○秀忠、河内砂ニ陣スルコト、
  • ノ條ニ
  • ニ、上總久留里城ヲ大須賀康高ニ與フルコト、同年八月十五日
  • 見ユ
  • ○家康、關東八國ヲ與ヘラルヽコト、天正十八年七月十三日ノ條

頭注

  • 從軍ス
  • 大坂冬陣ニ
  • ニ秀忠ノ命
  • 大坂夏陣ニ
  • 秀忠ニ扈從
  • 鴫野口ニ敵
  • 情ヲ偵察ス
  • 後陣ヲ指揮
  • 藤堂高虎等
  • 關ケ原陣ニ
  • 百石ヲ領ス
  • 上總ニテ三
  • ヲ傳フ

  • 元和八年十一月二十日

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  • 二九五

注記 (42)

  • 524,744,54,451て是をすてゝ逃去、
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