『大日本維新史料 編年之部』 2編 1 安政1年1月~同年1月20日 p.558

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筒井・川路・大澤・荒尾四氏に從ひ、西坂の石級を超えて、北瀬崎御米藏に到り、御船藏にて土, けす、かゝる塞堡にて自ら誇るは、遼東の豕とやいツはん、〓國の弊は到らさる所なしと、一口, 々と、新臺場の洋法を用ずふには西洋人も驚きぬるよしなと申せしに、かゝふ疎漏なる者な, 雄圭齋來な、對酌して客去れは寐に就く、, 上り、悟眞寺を過き、行ことしはらくにして一臺場り到り、又船に上ふ、此間石磴高下頗ふ跋, 者多く、轅馬海岸砲車も皆鹵捧、砲〓の制、卑下にして胸壁も完のらす、これより先、人々嘖, らんとは思はさりしなり、火藥庫も淺露にして危うく、砲は岸頭に露れ、ボムフレイをも設, 五十七二門・二十四七幾門、其餘大小砲を備ずる頗ふ多し、斐三郎曰く、砲制洋法と合せさる, 陟に勞す、戸町西泊を看ふ、風雨少しく起ふ、神崎の新臺場は、鍋島侯の新に造れふりて、百, 氣覺へす大息す、對岸にも新臺場あり、彼是互に打放數十發、船中に在てこれを見る、快甚し, 之にして辭し去り、雨を冐し三寶寺に歸ふ、, きを覺〓、黄昏後砲止む、波渡場に返れは八時服り、三寶寺に歸れは、小山三徑・石川鶯所・吉, 佐の萬次郎の乘れふスループ, 十五日、陰、, を閲し、四氏の乘れふ肥後の船に上り、稻佐御臺場とり陸に, 十六日、晴、, 三徑は明日發, 程とよし也, 舟, 小, 神島ノ佐賀, 藩臺場見分, ノ批評, 演砲, 武田斐三郎, 安政元年正月十五日, 五五八

割注

  • 三徑は明日發
  • 程とよし也

頭注

  • 神島ノ佐賀
  • 藩臺場見分
  • ノ批評
  • 演砲
  • 武田斐三郎

  • 安政元年正月十五日

ノンブル

  • 五五八

注記 (27)

  • 1604,609,61,2244筒井・川路・大澤・荒尾四氏に從ひ、西坂の石級を超えて、北瀬崎御米藏に到り、御船藏にて土
  • 656,615,60,2239けす、かゝる塞堡にて自ら誇るは、遼東の豕とやいツはん、〓國の弊は到らさる所なしと、一口
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  • 317,616,58,991雄圭齋來な、對酌して客去れは寐に就く、
  • 1372,614,61,2239上り、悟眞寺を過き、行ことしはらくにして一臺場り到り、又船に上ふ、此間石磴高下頗ふ跋
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