『大日本維新史料 編年之部』 2編 1 安政1年1月~同年1月20日 p.690

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圖あるへけれと、御場處の儀は、芝邊と御心得あるへき旨、御書付を以て御達あり、公是, を聞し召、芝邊と計にては餘りに據なけれは、猶指定めたる場所を伺ふへしとの御沙汰に, らひあつて、戰鬪には及はさる樣の御廟算なるよし、夫故諸家の御人數も出されて濟へき, と違ひ甚穩なる由を物語れり、, 渡に相成歟、又は濱御庭御警衞被仰出候樣、十八日朝、西尾侯へ御出にて御直達被遊たり、, て、翌十七日、御留守居共ゟ西尾侯へ伺ひたるに、増上寺大門前と御指圖あり、かくては敵, 一正月十九日、品川御殿山へ御場所替被仰出たり、此件并防禦之次第等、種々御伺ひ御取計, 門を、奧御右筆の黒澤正助殿へ被遣、御内調ありしに、此度は兎も角も精々穩便に御取計, えす、世の中も去歳に變り穩なる故、當時の廟議は如何なるにやと、密に大道寺七右衞, き歟、又は閣老衆の御宅へ御呼出にて御達しあるへきか、兩樣の内なるへし、異船も昨年, にもあらんか、されと此事は極内評にて、表御人數被指出事は、御登城の上御達あるへ, ひありしは、御記録に詳かなれは、爰には其〓略を記しぬ、此御場所替之御直達は、閣老衆, の旗色も見えす、疎遠の場所にて御不本意、思召は金杉通り町家御取拂ひにて、魚揚場御, にも殊に感服ありて、被及衆議候處、何れも間然なき儀とて、加州侯と御場所替ニ被仰出, 一此夕、西尾侯ゟ御留守居の者を被召呼、内海御備之御人數御指出の事は、其節に至り御指, 御殿山ニ場, 所替, 芝邊警固ノ, 命, 幕議ノ模樣, 安政元年正月十六日, 六九〇

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  • 御殿山ニ場
  • 所替
  • 芝邊警固ノ
  • 幕議ノ模樣

  • 安政元年正月十六日

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  • 六九〇

注記 (22)

  • 999,663,62,2185圖あるへけれと、御場處の儀は、芝邊と御心得あるへき旨、御書付を以て御達あり、公是
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  • 1243,661,56,728と違ひ甚穩なる由を物語れり、
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