『大日本維新史料 編年之部』 2編 3 安政1年2月1日~同年2月10日 p.241

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左樣こるは無之由、何れ四月頃は浦賀へ來り可申と之事、唐謹立掛故、草略如此ニ御坐候、, る間敷、跡之二三なるは上よりは不成、何レ下民ゟ本を發して接戰こなるへし、どうだ願, 滿朝老公之御意地をやき、御引き被成候を待て居る位之事ニ可有之候、河州抔の腹ニるは, 見〓て鑄立候大筒、御出來之筒は僅四五挺なるよし、何れも身こ不染ニ拵候故、埓明不申, 事との説、天下の形勢何一ツ頼む處無御坐候、只頼むは諸侯之内こは正ニ戰ふ之決斷之者, くは、其二三の處あらまほしとの事、宜哉、御茶之水こて江川掛りこる松河州抔隔日ニ被, 數十艘異舶來れはよいと思ふ位之事ニ御坐候由、魯西亞も平穩ニ出帆とは申候得共、中々, も可有之との事、委敷申上度候得共、此兩三日と申は如何にも閑ケ敷内ニ居ると、客來こ, る兩度當表出張、今度は異國之事ニる無之出張之所、不計異船沙汰ニ相成、とふ〳〵七艘, 可申上候、唐謹等あまり優長、嘸々御待被遊候哉御察申上候、乍去誠以感心之事ニ御坐候、, 舊冬より大御無沙汰御免可被下候、春寒強候處御勇剛奉恭賀候、偖御承知之通火急之義こ, る手紙を認る暇無之候、令弟歸り迄こはまた認置委敷可申上、令弟持參等之御返事は其節, して居るもの有之候得は、進て戰ふべし、然らば接戰こなるべし、十が七八は先ツ戰こな, 二月二日朝認上ニ總左衞門樣正太郎とあり, 貴下, 二月二日朝認上ニ總左衞門樣, 天下頼ムハ, 二三諸侯ノ, 書翰, リ開ケン, 黒川嘉兵衞, 兵端下民ヨ, 安政元年二月六日, 二四一

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  • 天下頼ムハ
  • 二三諸侯ノ
  • 書翰
  • リ開ケン
  • 黒川嘉兵衞
  • 兵端下民ヨ

  • 安政元年二月六日

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  • 二四一

注記 (24)

  • 694,638,59,2210左樣こるは無之由、何れ四月頃は浦賀へ來り可申と之事、唐謹立掛故、草略如此ニ御坐候、
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