『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.474

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三月廿一日サラザムプトン及ひワンダリアの二船を下田に派す、, は松前に航して直接に彼と談せんのみと、, は代々其國守に屬するを以て、將軍は專斷にて之を定むる〓能はす、然るに、其國守と商, 翌日、森山榮之介は二人の日本官吏と共にポーハタンに來り、蘭語の一書を出す、是れ提, 關しては、提督は一二の船舶を送り、日本の使節之に會して、港の適否を檢し、若し米人の, 返答を得ざれは、日本を立ち去る〓能はす、故に若し其國守にして獨立の君主たらは、余, 督の要求を日本人の記録せしものにして、亦使節の之を承認したる者之、, 出て來りて曰く、松前開港に關する確答を與ふるには長日月を要せざる可らす、原來其港, 希望に合はざれは、本島の南部に於て、更に一港を代ゆる決議を以て雙方同意し、提督は, 是にも係らす、提督は毫も其要求を曲けざりし、蓋し、彼は日本人の如き權謀に富む者と, るを以て、提督をして其目的を抂けしめんか爲ニ企てたる狡猾なる策略は、毫も其效なか, 議するには一年を要するを以て、其時期に至らされは答ふる能はすと、提督は曰く、余は, りしかは、使節も今は已を得す、別室に退きて熟議を凝らせしか、殆と時間を經て、再ひ, 談判するには、極て用心せさる可らすと考ひたれは之、斯の如く、提督は頑として動かさ, 是に至りて、遂に日本人は三月廿三日(火曜日)を以て確答を與へんと約しぬ、又下田港に, 下田港ノ檢, 確答ヲ約ス, 確答ヲ求ム, 分, 安政元年二月十九日, 四七四

頭注

  • 下田港ノ檢
  • 確答ヲ約ス
  • 確答ヲ求ム

  • 安政元年二月十九日

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  • 四七四

注記 (21)

  • 493,637,64,1615三月廿一日サラザムプトン及ひワンダリアの二船を下田に派す、
  • 960,638,59,1044は松前に航して直接に彼と談せんのみと、
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