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通過容易ならざるべきを豫想したるも、番人并に警衞役人も見えず、殆ど空屋同樣なるより無雜作に國境を越え、こ, 拔して先立たらしめ、大旗を押立て隊伍を亂さずして進行し、道船村の邊に至るや二手に分れ、一手は五葉山を越え、, し、同日晝頃釜石町に着、同町一泊、六日午前出發せるが、これより仙臺領に入ることゝて、屈強の壯丁三百餘名を選, は一同野宿し、翌日に至り唐丹村及び附近の村落に宿を與へられしが、この際提出したる農民の願書左の如し、, 數増加して五六千人に及び、殆ど同町の各戸に宿し、役人の制止をも聞かず、給人刈屋勝兵衞の居宅倉庫諸器具を破, 篠倉山よりして仙臺領なる氣仙郡唐丹河原に向ひ、一手は本街道なる平田番所前を通過す、同番所が警衞嚴重にして, に建設せる諸荷物税徴收役場及び大槌町作兵衞の居宅倉庫をも破壞したり、この際出張の役人等〓りに制止すとい, たるも、儀助が酒食を饗し路用金を差出せるよりこれを見合せ、沿道の各村を誘ひ、二十九日宮古町に達す、その際人, 大槌町へ宿泊せるが、例の如く傍若無人の振舞あり、五日朝出發、途中小國村及び片寄村の諸荷物税徴收役場を破壤, 前に異ならず、翌三日山田町出發、同日午後大槌町に達し、同町に一泊、四日釜石に向け出發し、その途中小槌村上内, へども聞かず、依て目付島田能得等鞭を以て農民數名を打ちたるに、農民大に激〓し、七年前遠野へ押寄せたる際に, れも唐丹河原に向ひ、篠倉山を越えたる一隊と合す、而して唐丹村の肝煎與左衞門といへるものに來意を告げ、同夜, 我々共、南部盛岡領大槌通・民古通・野田通御代官所不殘、上田通御代官扱小川三箇村取合、百二箇村餘の御百姓共, も役人のために即死者を出したり、この度こそは恨みを酬ゆべしとて殺氣立ち、形勢頗る不穩に見えたるより、役人, き脚の聲を擧げて騷擾するのみ、その際大槌町の檢斷老名等奔走してこれを慰諭せるより、漸く引退き、その夜また, 等恐れて皆代官所に逃げ入れり、農民等これを追ふて代官所を圍めるも、門内には亂入するものなく、唯法螺貝を吹, に増加して八九千人となり、老若男女僧侶山伏の輩までも之に加はり、同町より大澤村邊まで押入りて宿とし、狼藉, に御坐候處、國元御領主より年々御用金被申付、一箇年の内には幾度も割付に相成、當年の御年貢諸役一宇被召上、, 〓し、尚ほ市中における亂暴狼藉至らざるなし、斯くして六月二日宮古町出發、同日午後山田町に達す、その際人數更, 圍ス, 代官所ヲ包, 經テ仙臺領, ニ入ル, 平田番所ヲ, 願書ノ提出, 七一〇
頭注
- 圍ス
- 代官所ヲ包
- 經テ仙臺領
- ニ入ル
- 平田番所ヲ
- 願書ノ提出
ノンブル
- 七一〇
注記 (26)
- 605,618,63,2212通過容易ならざるべきを豫想したるも、番人并に警衞役人も見えず、殆ど空屋同樣なるより無雜作に國境を越え、こ
- 788,620,65,2215拔して先立たらしめ、大旗を押立て隊伍を亂さずして進行し、道船村の邊に至るや二手に分れ、一手は五葉山を越え、
- 882,624,65,2216し、同日晝頃釜石町に着、同町一泊、六日午前出發せるが、これより仙臺領に入ることゝて、屈強の壯丁三百餘名を選
- 431,624,64,2104は一同野宿し、翌日に至り唐丹村及び附近の村落に宿を與へられしが、この際提出したる農民の願書左の如し、
- 1806,634,70,2214數増加して五六千人に及び、殆ど同町の各戸に宿し、役人の制止をも聞かず、給人刈屋勝兵衞の居宅倉庫諸器具を破
- 695,618,63,2217篠倉山よりして仙臺領なる氣仙郡唐丹河原に向ひ、一手は本街道なる平田番所前を通過す、同番所が警衞嚴重にして
- 1458,635,66,2204に建設せる諸荷物税徴收役場及び大槌町作兵衞の居宅倉庫をも破壞したり、この際出張の役人等〓りに制止すとい
- 1895,637,65,2214たるも、儀助が酒食を饗し路用金を差出せるよりこれを見合せ、沿道の各村を誘ひ、二十九日宮古町に達す、その際人
- 977,625,67,2218大槌町へ宿泊せるが、例の如く傍若無人の振舞あり、五日朝出發、途中小國村及び片寄村の諸荷物税徴收役場を破壤
- 1544,630,69,2216前に異ならず、翌三日山田町出發、同日午後大槌町に達し、同町に一泊、四日釜石に向け出發し、その途中小槌村上内
- 1360,634,66,2207へども聞かず、依て目付島田能得等鞭を以て農民數名を打ちたるに、農民大に激〓し、七年前遠野へ押寄せたる際に
- 517,621,63,2214れも唐丹河原に向ひ、篠倉山を越えたる一隊と合す、而して唐丹村の肝煎與左衞門といへるものに來意を告げ、同夜
- 342,659,64,2174我々共、南部盛岡領大槌通・民古通・野田通御代官所不殘、上田通御代官扱小川三箇村取合、百二箇村餘の御百姓共
- 1267,624,67,2220も役人のために即死者を出したり、この度こそは恨みを酬ゆべしとて殺氣立ち、形勢頗る不穩に見えたるより、役人
- 1076,625,64,2214き脚の聲を擧げて騷擾するのみ、その際大槌町の檢斷老名等奔走してこれを慰諭せるより、漸く引退き、その夜また
- 1170,623,67,2220等恐れて皆代官所に逃げ入れり、農民等これを追ふて代官所を圍めるも、門内には亂入するものなく、唯法螺貝を吹
- 1631,636,67,2209に増加して八九千人となり、老若男女僧侶山伏の輩までも之に加はり、同町より大澤村邊まで押入りて宿とし、狼藉
- 256,667,64,2156に御坐候處、國元御領主より年々御用金被申付、一箇年の内には幾度も割付に相成、當年の御年貢諸役一宇被召上、
- 1720,635,67,2212〓し、尚ほ市中における亂暴狼藉至らざるなし、斯くして六月二日宮古町出發、同日午後山田町に達す、その際人數更
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