『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.202

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て、御對話之次第を伺ひ來れと被仰付て、龍土邸へ罷出たり、遠江守殿御對面にて仰ける, 次ニ其史料ヲ收ム。, 漸くに京師御警衞の事を此節專ら評議に及へと定り難し、伊賀出勤せては決評には至ら, は、兼て御談し置れたる水府當公御建白御引直の事御承引にて、一昨日安島彌次郎を以、, 來ル十五日御登城之節、閣老衆迄可被仰旨被仰遣たりし故、其事を申すへき爲、昨日備中, 詰の内を被遣んかとの事故、定套の御使事ならんには左もあるへけれと、今般の事抔は廟, 置度と申出せしに、何の定見もなき樣子にて、返答慥かならす、猶色々と詰問せしかは、, さるよし故、御使は誰人に命せらるやと問ひしに、是も聢としたる事もなけれと、先ツ溜, り、夫ゟ大老へ往て、先つ今後の御處置次第にて、建白の模樣もある事なれは、心得迄に承, 殿へ往て申入たる次第に、京使を越公へ命せられては如何あらんと申たりしに、備中殿は, 彼公ならんには京師の思ひ入も事異なりて、いとよかるへきとおもはるゝ由を申された, もよろしかるへけれと、好まぬ向もあれは評議には及ひかたき由を申せしなり、, 堂の御樣子不案内ニては事遂け申ましく、夫よりは越前を被遣ては如何と申せしかは、夫, ○四月二十八日、伊達宗城等、高知藩邸ニ於テ、松平慶永ヲ上京セシムルコトヲ議ス。, 御手留日記〕, 伊達, 宗城, 示彰所藏本, ○侯爵伊幸, 使トナスノ, 議ヲ贊ス, 堀田正睦松, 平慶永ヲ京, 直弼慶永ノ, 京使タルヲ, 贊セズ, 安政五年五月十三日, 二〇二

割注

  • 伊達
  • 宗城
  • 示彰所藏本
  • ○侯爵伊幸

頭注

  • 使トナスノ
  • 議ヲ贊ス
  • 堀田正睦松
  • 平慶永ヲ京
  • 直弼慶永ノ
  • 京使タルヲ
  • 贊セズ

  • 安政五年五月十三日

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  • 二〇二

注記 (28)

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