『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.442

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珍説, 方と承りられは、是等相當の説ならんろといふ、いや左候〓は、又咄しも新らしく成ると, 參る事はあるましく、若州侯なるへしといふ、是は長く所司代を勤て、京師ニ〓受もよき, 旨、心得として御達有之候趣、御兩役其外、夫々御吹聽ありし事、速ニ傳へ承りぬ、されは, いふもの故、矢張先々の手續にて、佐倉侯なるへしと、樣々氣をもみて、小田原評定なる内, 如何なる御用召ならんといふに、樣々の説の内に、溜格といふ説あり、又無程御養君被仰, 御役御免といふ説ありて、評判區々なる處、或人云、今度岡崎か御召しす、御役替にてす無, 出ニ付、西丸御老中といふ説あり、又御勝手六ツかしく、御勤續成り兼、無據御内願ニて、, 御暇年なれ共、御滯府被仰付候考、其爲と申事なり、又彦根なりといふに、御大老の御使に, に、去月廿四日、岡崎の御家來、龍野の亭ニ被召呼、去ル十九日、御奉書出、出府被仰出候, 佐倉侯歸府、色々風説之内に、今度は誰か上京なるへしといふに、讚州侯と申説なり、當年, 之、矢張當春の一條之事之由、御三家以下諸大名の衆議被聞召度との義ニ付、席々存寄, 〔飯泉喜内書翰〕, ○六月十一日附山科正恒宛書翰別紙, 五年午七月二日、但ゟ出、飯泉友輔珍説、, 味書所載, 履歴〓料, ○武家吟, 中山忠能, 京ノ議, 大老老中上, 本多忠民東, ノ世評, 下ニ就イテ, 安政五年五月十九日, 四四二

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  • 味書所載
  • 履歴〓料
  • ○武家吟
  • 中山忠能

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  • 京ノ議
  • 大老老中上
  • 本多忠民東
  • ノ世評
  • 下ニ就イテ

  • 安政五年五月十九日

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  • 四四二

注記 (26)

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