『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.782

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

キ出たす計の次第なりしとそ、總〓橋といへる説のみ聞えしなり、, へ御逢を被願申上られしは、僕已に疎外に轉し候へと、橋公の立せられたるを承候へ, 及周旋旨を命せられたり、筑州も京師御伺之節、降, 侯にも痛く驚き患ひ給ひて、種々御考ありしかと、今となりては京師へ御手入レの外は有, は、死して遺憾あることなし、昨夜は詰番にて候ひしが、餘りの難有さに、歡んて寐られ申, 間敷由の御返答にて、侯よりも土佐守殿へ御談あるへきとの御事なりき、, 勅にならては、關東にての御盡力は御行屆被成間敷由を、建言せられたり、, 此日、營中の評判、橋とも紀とも分り方なけれと、多くは橋といへるよし、土岐丹州、公, にて、師質、伊達遠江守殿へ被指出たり、御對面ありし故、昨日の事共委敷申上たりしかは、, さすといはれしか、公、一昨日備中殿云々の事、御内話ありしかは、丹州大ニ仰天して泣, 一、水筑州を被仰遣、田安殿へ、御内意の節、御幼弱之御方にて不可然旨、被仰セ立候樣、可, 晦日宇都宮藩主戸田忠恕, 領内, 二於ケル銅山再掘ノコト, 六月朔日、御登城如御例、, 綏之, 下野國鹽谷, 動, 略、, 郡東房村, ○中, 略、, ○中, 略、, ○中, ニトノ噂高, 建儲ハ慶喜, 營中ニテハ, 達宗城ヲ訪, 中根師質伊, 安政五年五月晦日, 七八二

割注

  • 綏之
  • 下野國鹽谷
  • 略、
  • 郡東房村
  • ○中

頭注

  • ニトノ噂高
  • 建儲ハ慶喜
  • 營中ニテハ
  • 達宗城ヲ訪
  • 中根師質伊

  • 安政五年五月晦日

ノンブル

  • 七八二

注記 (32)

  • 352,643,67,1627キ出たす計の次第なりしとそ、總〓橋といへる説のみ聞えしなり、
  • 693,655,71,2180へ御逢を被願申上られしは、僕已に疎外に轉し候へと、橋公の立せられたるを承候へ
  • 1277,646,64,1239及周旋旨を命せられたり、筑州も京師御伺之節、降
  • 1732,646,60,2209侯にも痛く驚き患ひ給ひて、種々御考ありしかと、今となりては京師へ御手入レの外は有
  • 578,647,70,2199は、死して遺憾あることなし、昨夜は詰番にて候ひしが、餘りの難有さに、歡んて寐られ申
  • 1618,648,61,1803間敷由の御返答にて、侯よりも土佐守殿へ御談あるへきとの御事なりき、
  • 1164,642,71,1835勅にならては、關東にての御盡力は御行屆被成間敷由を、建言せられたり、
  • 800,638,72,2205此日、營中の評判、橋とも紀とも分り方なけれと、多くは橋といへるよし、土岐丹州、公
  • 1845,659,61,2195にて、師質、伊達遠江守殿へ被指出たり、御對面ありし故、昨日の事共委敷申上たりしかは、
  • 463,643,70,2200さすといはれしか、公、一昨日備中殿云々の事、御内話ありしかは、丹州大ニ仰天して泣
  • 1381,660,64,2190一、水筑州を被仰遣、田安殿へ、御内意の節、御幼弱之御方にて不可然旨、被仰セ立候樣、可
  • 226,578,78,883晦日宇都宮藩主戸田忠恕
  • 220,1643,70,142領内
  • 215,2041,79,799二於ケル銅山再掘ノコト
  • 938,643,64,617六月朔日、御登城如御例、
  • 256,1479,41,78綏之
  • 250,1801,45,207下野國鹽谷
  • 212,1480,40,35
  • 926,1279,40,49略、
  • 207,1799,44,166郡東房村
  • 969,1278,40,78○中
  • 1050,640,40,53略、
  • 1093,643,39,75○中
  • 1495,644,40,58略、
  • 1539,648,39,76○中
  • 600,289,40,194ニトノ噂高
  • 657,276,41,207建儲ハ慶喜
  • 716,276,39,200營中ニテハ
  • 1811,286,41,207達宗城ヲ訪
  • 1868,289,42,205中根師質伊
  • 1963,763,45,335安政五年五月晦日
  • 1955,2380,49,120七八二

類似アイテム