『大日本古文書』 浅野家文書 1 浅野家文書 p.582

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枚をたまふ、, をう〓たるはりて、御天守臺を築く、寛文四年四月十八日滋野井中將教, 廣罪ありてめしあ〓〓らる、五年十二月二十七日少將にすゝみ、六年先, にあ〓〓られし教廣か罪をゆるさよ、十二年四月十八日致仕し、五月十, 六月十四日のきに本城石垣普請の事をつとめしところ、其功速になり, 室は松平肥前守利常の女、光晟か許に入輿のとき、假に大猷院殿の御屋, 八日得物正宗の短刀、をよひ玉堂の茶入をたてま〓り、御臺所に冷泉爲, 六年四月二十三日廣島にをいて卒す、年七十七、仁嶽良寛玄徳院と號す、, しを賞さられ、この事にあつかりし家臣等に物をたまふ、十四年二月仰, 庶兄長治にわかちあたふ、是時さきに獻せし玉堂の茶入を拜賜し、六日, 相筆の古今集をまいらす、延寶元年九月十八日紀伊守にあらため、元祿, のとき、したかひたでま〓り、七月十六日從四位下侍從に昇進し、十二年, はしめて入國乃いとまをたまふ、十一年大猷院殿洛にのほらさたまふ, 葬地長晟別におなし、五月四日奏者番田村右京大夫建顯をもて、賻銀三百, しれひとなる、, 附録, 五八三

  • 附録

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  • 五八三

注記 (17)

  • 496,743,56,346枚をたまふ、
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