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はさみて追撃し、敵乃首百餘を得〓り、, の告を聞により、十月朔日兵を米澤におさめむとして、畑谷て退く、義光政景これをさし, ふ、十二年十月致仕し、出羽國米澤乃舘山城に住す、十三年、家臣大内備前定綱陸奥國塩松, 城〓據ず逆意を企るにより、これを誅せむつため、彼地ににもむく乃ところ、二本松右京, たり、二十四日須川を前にあずゝ陣をとり、合戰にをよふのところ、兼續、石田三成等敗走, 揮にしたかひ、援兵とし〓、甲士五百騎、銕炮千挺、雜兵五六千を率ゐず、出羽國山形城にい, を下さるゝ乃ときシ、御書を〓匁ふ、また織田右府よりも書簡を贈りて、したしミをむす, 年九月、上杉景勝の臣直江山城守兼續、〓上出羽守義光か領地にせめ入乃とき、政宗か指, に生害す、年四十二、性山受心覺範寺と號す、出羽國置賜郡夏刈村の資福寺に葬る、後こ乃, 留守相摸守顯宗か養子となり、高森乃舘に住す、のち政宗より伊達乃稱號をうく、慶長五, さしゝのとき、好ミを通をら〓んつために御書戍〓文ひ、そのゝち御鷹師中川市助忠保, 大夫義繼、輝宗に宿意あるをシつて、十月八日その陣所にいたり、不慮乃事にをよひ、ぼか, 乃る、天正三年從四位下左京大夫に敍任す、其ころ東照宮より御鷹師を陸奥にをのは, 天文十三年西山城る生る、弘治元年三月十九日、光源院義輝よわ諱字をたまひ、輝宗と名, 彦太郎總次郎左京大夫從五位下從四位下致仕號受心, 母は上におなし、, 伊達兵部大輔實元か妻、, 附録, 五七七, 受心
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- 母は上におなし、
- 伊達兵部大輔實元か妻、
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- 附録
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- 五七七
- 受心
注記 (20)
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