『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.582

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〓、政宗もまた御旨のことく申によりて、事既に大事にをよはむとす、しかれとも、堀尾吉, に馳て城に乘かゆへに、其事果さす、政宗大に不興せり、のち宗薫江戸にかへり、軍のやう, きにより、政宗も進退越度なき〓う仰下さお、十二日、けきに今井宗白石よ多宇都宮に, 還御乃ゝち、七日御書を〓匁ひ、秀康卿佐竹義宣としめしあはされ、白川表に發向あるへ, け、銕炮をぼるへうたしめ、宗薫か見物の興を添むとせしそ、家臣亙理右近定宗すみやか, され、定宗ム功を賞せらお、晦日台徳院殿より御書を下され、白石の功を賞譽あり、こ〓, 郭三丸等を燒はらひ、諸手四方より攻入、從士等創をかう〓て討死するものおほしとい, なく、身命を抛ちすかへ〓てまつるへきむ手、起請文をたずまつる、十月家臣白石宗實死, として、伏見騷動に及ぬにより、四月五日、有馬法印則頼今井宗薫に就ず、御密旨を漏す事, 〓とも、城兵大崎三次をはしめ七百餘人を討取、二十五日殘兵等降を請、ぼゐに落城す、さ, しによりてれり、五年上杉景勝御征伐として會津に御發向のとき、仰をかうふ〓て御先, す御により、東照宮より葬馬を〓づはお、これ宗實は御密旨往來の事をう〓たヌはり, へとも、東照宮御旗を還さしゝの上は、關束口乃後詰なく、一軍をもつて進退難かなへ, より先、東照宮下野國小山に御陣をすへらるゝのところ、石田三成謀叛乃つなありて, に歸國し、七月二十四日景勝か所領刈田郡白石の城をせむ〓しとて、かの地に至り、川を, を下さま、ときに政宗白石に在て、猶景勝か所領伊達郡桑折をせめう〓ん事を欲すとい, 台施を還さるゝにより、八月二日大屋小平次某を御使とし〓、宰相秀康卿宇都宮に陣せ, 隔ず平山に陣す、ときに家臣屋代勘解由兵衞景頼の手より火を放〓しめ、市塵をよひ外, 正則等志堅固に在陣す、御出馬の事は、彼等か告を待せらるゝにより、遲滯あおのよしを, 軍を收む、二十三日御書を〓まひ、村越茂助直吉清洲に使せるのところ、福島左衞門大夫, 仰下さる、二十六日村越直吉今井宗薫をもつて御書をたまひ、先に御先手乃諸將岐阜城, きに今井宗薫東照宮の御使として陣中にあり、政宗みつから下知して、城郭に火をか, を言上す、ときに定宗の父美濃重宗人質となりず江戸にあるにより、東照宮重宗戍め, か〓るのとき、家臣山岡志摩重長を添て、奧羽乃形勢を台徳院殿そ言上せしかは、御書, ぎ况はつり、家臣石川大和昭光に二千餘人をそ〓て、白石城を守らしめ、十四日北目城に, らおゝのあひた、よろつの事彼卿と相はからふ〓きのよし、御下知状をたまふ、江戸城に, 兵部少輔直政より告たずまつなのよしを仰下さる、九月七日京極高次シ御味方に屬し, 晴等その間に奔走して、つゐに和融す、乃ち石田三成等東照宮をはかりたそまつらむ, を攻るのとき、幸田乃りたりの一戰勝利あ〓、岐阜落城も日あるへからされ乃む為、井伊, 附録, 附録, 五八二

  • 附録

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  • 五八二

注記 (32)

  • 1814,717,45,2116〓、政宗もまた御旨のことく申によりて、事既に大事にをよはむとす、しかれとも、堀尾吉
  • 1115,721,46,2116に馳て城に乘かゆへに、其事果さす、政宗大に不興せり、のち宗薫江戸にかへり、軍のやう
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