『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.594

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へかのゝち、か乃鷹にそとらせし白鳥を献す、四年三月二十五日、家臣松林蝙也齋無雲の, 第、侍醫片山與安を下さるゝといへとも、みな中途にして訃音を聞てかへま、二十一日老, り神輿をむかへ〓てまつ〓、十六日封内に安置す、万治元年七月十二日、仙臺にをいて卒, 賜術を御覽ありて、時服三領を〓まふ、承應三年、東照宮造營をはり、三月六日東〓山よ, す、年六十、義山宗仁大慈院と號す、葬地政宗におれし、さきに忠宗封國にあ〓て、病おもき, のむ〓告申乃所、十四日上使石川彌左衞門貴成をして病をとはせら〓、かぼこひ申によ, 至學台徳院殿の御養女振姫君、實は池田三左衞門輝政か女、万治二年二月五日逝す、年, 慶長八年十一月父政宗より玉造郡岩出山城をあたふ、寛永三年閏四月忠宗にしたつひ, 五十三、秀岸日訊孝勝院と號す、仙臺乃孝勝寺に葬る、六日奏者番小笠原壹岐守忠知をし, 力をたまふ、四年十二月二十八日大猷院殿より父政宗乃もとに森川出羽守重俊を下, たれ〓、從五位下三河守に叙任し、乘輿をゆるさお、五年三月十二日台徳院殿政宗の郎, 中阿部豐後守忠秋をして賻銀五百枚を〓〓はお、, 〓戸に參り、はしめて台徳院殿大猷院殿に拜〓し、兩御所より青江及ひ左文字の御, に入御のとき、時服二十領を〓まひ、二十六日大猷院殿成せ〓匁ふ乃とめも、またたま, 叫上洛のとた、政宗忠宗等とゝもにあちかしめ京師ににシむく、十五年十二月二十三日, シの前におなし、七年四月、兩御所渡御乃おりも例のことく賜あり、十一年大猷院殿, 〓和二年十二月二十四日はしめて台徳院殿にまみもたさまつ〓、後家臣飯坂右近宗, 附録, 附録, 五九四

  • 附録

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  • 五九四

注記 (20)

  • 1791,734,61,2115へかのゝち、か乃鷹にそとらせし白鳥を献す、四年三月二十五日、家臣松林蝙也齋無雲の
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