『大日本古文書』 幕末外国関係文書 50 文久1年2月 p.353

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入るべきではない。, 從い西に進路をとり、岸に沿って沖ノ島に向かった。そして、このコースを二十二マイル進, ルーゼンシュテルンの地圖の表示と比較すれば、町は實際には二十二外國里西方に位置して, ロノメーターによれば、グリニッヂ起點で東經一三〇度五十一分五十四秒である。これをク, んだ時、この島の子午線を通過、そこからさらに北に航海を續けた。, ばならず、信頼に足る觀測點を持たずには、日本の南西岸に位置するいかなる水道や灣にも, れた。この結果に從えば、下關町の緯度は、北緯三十四度五十分十秒、上海で檢査されたク, 一般的に以下のことが立證される。つまりクルーゼンシュテルンの地圖に描かれている江, 投錨した。そして、この地點の緯度および經度の點檢のため、この好機を利用し觀測がなさ, サキ岬から沖ノ島へ航海した時に確信をもった。岸に接近する際には細心の注意をはらわね, 戸灣から豐後水道に至る全ての海岸線は疑わしいものである、と。我々はこの點に關しヤツ, 三月二十五日、クリッパー艦は本州と四國との間にあるファン・デル・カペーレン海峽に, おり、またオランダの地圖の表示(*)と比べても、實際の地點は、七マイル西方にある。, (*)蒸氣コルヴェット艦バリ號の航海, 文久元年二月, (二月二十七日), 通過, 門海峽投錨, 載日本南岸, ノ線信頼ス, 二十七日關, 經緯測定ス, ク氏地圖記, 沖ノ島近邊, ル能ハズ, 文久元年二月, 三五三

割注

  • (二月二十七日)

頭注

  • 通過
  • 門海峽投錨
  • 載日本南岸
  • ノ線信頼ス
  • 二十七日關
  • 經緯測定ス
  • ク氏地圖記
  • 沖ノ島近邊
  • ル能ハズ

  • 文久元年二月

ノンブル

  • 三五三

注記 (27)

  • 1216,652,51,453入るべきではない。
  • 1946,649,62,2250從い西に進路をとり、岸に沿って沖ノ島に向かった。そして、このコースを二十二マイル進
  • 589,657,59,2234ルーゼンシュテルンの地圖の表示と比較すれば、町は實際には二十二外國里西方に位置して
  • 713,653,60,2234ロノメーターによれば、グリニッヂ起點で東經一三〇度五十一分五十四秒である。これをク
  • 1825,655,59,1659んだ時、この島の子午線を通過、そこからさらに北に航海を續けた。
  • 1331,648,58,2247ばならず、信頼に足る觀測點を持たずには、日本の南西岸に位置するいかなる水道や灣にも
  • 838,646,62,2246れた。この結果に從えば、下關町の緯度は、北緯三十四度五十分十秒、上海で檢査されたク
  • 1698,725,60,2176一般的に以下のことが立證される。つまりクルーゼンシュテルンの地圖に描かれている江
  • 963,647,61,2246投錨した。そして、この地點の緯度および經度の點檢のため、この好機を利用し觀測がなさ
  • 1455,651,58,2247サキ岬から沖ノ島へ航海した時に確信をもった。岸に接近する際には細心の注意をはらわね
  • 1576,652,57,2247戸灣から豐後水道に至る全ての海岸線は疑わしいものである、と。我々はこの點に關しヤツ
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