『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 1 p.263

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町と稱するもの古の海岸にして、其下は則後世海を〓てこれに居る、是を井水にこころ, 天正中轄防を築以て河道を制し、因て伏見より大坂にいたる捷路をなし、ここにおいて, となし、地川澤の分をのこさす、水休息の所を得す、後世の水患あるおのつから其宜巾, 行文の間實を傳へ華飾をからすして鄙俗ならす、實に唐儒のよくする所にあらす、嗚呼, と、論尤的實といふへし、奥州漕運寛文十年庚戌の冬瑞賢に命せらる、明年辛亥三月、, 河の海を距、やうやく遠く、海の河を容るゝ、又坦にして下流停滯の患こゝに胚胎す、, みてしるへし、然らはむかしは河と海と潮相通していまた下流壅塞の患あらす、豈榮紆, 波曰に退て洲〓したかつて長し、戸口曰増て民水澤をひらいて是に居る、ここにおいて, 〓外の被澤遂に良田となる、是昔河水游蕩する所有て今これなし、或は曰、今の大坂上, しかのみならす城邑富庶、人巧漸勝、河道を壅防して館舍を起し、〓澤をおかして田畝, 曲折、〓漫衝激の勢あらんや、世の相去千有餘年、泥沙日にかさなりて水底漸高く、海, し、七月悉江戸に至る、卷末、羽州運漕の事をのす、是寛文壬子瑞賢建議する所、是書, 瑞賢奥州荒濱にいたり、自ら其事を董督す、五月荒濱を發し、運船を按視し務場を建置, 條畷に出、或は野田福島より或は渡邊橋今の牧方を過て京橋に至る、一路舊皆被澤たり, 往して河の海を距遠からすして、むかし洛より大坂にいたるその道飯盛山の下を經、四, 命ジテ董督ヤ, 賢建議, 羽州運漕ノ事, 漕運ヲ瑞賢ニ, 寛文十年奧州, 寛文十二年瑞, シム, 總紀第二, 二六三

頭注

  • 命ジテ董督ヤ
  • 賢建議
  • 羽州運漕ノ事
  • 漕運ヲ瑞賢ニ
  • 寛文十年奧州
  • 寛文十二年瑞
  • シム

  • 總紀第二

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  • 二六三

注記 (24)

  • 1474,723,59,2245町と稱するもの古の海岸にして、其下は則後世海を〓てこれに居る、是を井水にこころ
  • 1703,722,58,2243天正中轄防を築以て河道を制し、因て伏見より大坂にいたる捷路をなし、ここにおいて
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