『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 4 p.68

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といへとも、これ其後人のくはふる處にしてもとよりある處にあらす、故に國傍に藤原, 松平越後守光長頸城郡高田城に在城せしときの圖とみえたり、城の形勢を圖するのみに, の類、各標幟を設てこれをしらしむ、, 守と殿を書せさるは、うたかふらくは天明四年の夏より同七年の四月五月の頃の間寺社, して城中を畫かす、方位を記さす、もつはら城下家臣の屋敷を圖して其姓名及ひ采地の, 奉行え出したる繪圖乎と、いかさまさもあるへし、圖中のする所魚沼・古志・蒲原・岩, 高を記せり、その餘米藏・花畑・下屋敷・矢場・馬場・斬罪場等に至るまてこれを載, 船の四郡にして、餘の三郡は曾て預る處なし、また村々着色の標幟をもつて御代官所御, 預り所・領分・知行・寺社領等の辨別をなし、又冥加・永上納・同御免及ひ船無之村方, 寺社奉行被仰付人を松平右京亮殿と書、同七年六月十九日爲御老中被仰付人を松平越中, せ、城のうしろえ萬徳丸殿御母立長院殿屋敷及長見大内藏屋敷あり、傍に寶珠院樣御畑, にかゝはらさるによりて書せるか、又若年寄井伊氏を殿と書き、天明四年四月廿六曰爲, これを論してて曰、この繪圖郡分を書さるは河普請抔の節出たる繪圖にて、郡, 越後城圖一鋪寫, 忠寄, 大久保, 酉山, 社奉行へ出シ, 城在城ノ時ノ, 天明四年ヨリ, 家臣ノ屋敷ヲ, 同七年ノ間寺, 松平光長高田, タル圖カ, 圖シテ姓名及, 采地ノ高ヲ記, 圖, ス, 編脩地誌備用典籍解題卷之十七, 六八

割注

  • 大久保
  • 酉山

頭注

  • 社奉行へ出シ
  • 城在城ノ時ノ
  • 天明四年ヨリ
  • 家臣ノ屋敷ヲ
  • 同七年ノ間寺
  • 松平光長高田
  • タル圖カ
  • 圖シテ姓名及
  • 采地ノ高ヲ記

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之十七

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  • 六八

注記 (30)

  • 1787,714,58,2245といへとも、これ其後人のくはふる處にしてもとよりある處にあらす、故に國傍に藤原
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