『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 5 p.339

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た吾妻路こそおもむきしみちなれ、かきのこさんことおほけれと、旅路の事繁さにおも, の内河内一ケ國は朱線のおよはさるところにして、里率を載るにおよはされは也、, 圖もまた同人の撰ふところか、また餘人の作るところか詳ならす、攝津・山城・河内, 淺草の館につくと云、, 和泉・大和・紀伊六國の境界黒線を以てこれを辨し、京より熊野にいたり、熊野より和, 宮・新宮・那智等にまうて、又本宮にもとり、高野に登り、吉野・多武峯等にいたりて, 京師に歸りし道々の紀行也、自詠の歌およひ從者吉利・次朝等の歌をのす、これよりま, ひのまゝにもえかゝすなりぬ、ところ〳〵にてよめる和歌を書のこしおきぬとて、大, ころすへて六國、紀伊を除て殘る所五ケ國、然るところ殘り四ヶ國といふものは、六國, 津・田子の浦・富士・箱根等にて詠したる歌五首を載せ、卯月六曰吾妻の武藏の國なる, 歌山にいたり、和歌山より大坂にいたるの道路朱線を引、道々地名およひ道規をしるす、, て、三月五日難波の浦に著岸し、それより熊野路にかゝり、紀州和歌山を經て熊野の本, 圖傍に紀伊國の分五十丁一里、殘り四ケ國三十六町一里としるす、按るに圖中載すると, うてんとて、難波津の方をこゝろさし、大三島の大神にまうて、須磨・明石なとすき行, 和泉大和紀伊, 攝津山城河内, 六國ノ圖, 京ヨリ淺草へ, ノあ路ノ和歌, 遊紀第四, 三三九, 行

頭注

  • 和泉大和紀伊
  • 攝津山城河内
  • 六國ノ圖
  • 京ヨリ淺草へ
  • ノあ路ノ和歌

  • 遊紀第四

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  • 三三九

注記 (22)

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