『維新史』 維新史 1 p.45

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り、江戸時代空前絶後の盛事と稱せられた。「寛永行幸記」には、, くの如き禮讚の辭を惜まなかつたのは尤ものことながら、禁中並公家諸法度の, この時にあたり、公武御同體の仁政、九夷八蠻の遠に及び、かくふるきあとをた, 力を費して朝廷尊崇の意を表し、以て公武融和の實を收めようとしても、決して, には僭越不遜をも憚らなかつた幕府が今また二條城に行幸を仰ぎ、其の權勢財, と、家康以降三代の撥亂反正の功、皇室尊崇の徳を擧げて、公武の御融和を致した, 制定・女御入内等、事毎に幕府の勢力を禁裏・内廷にまで扶植し、朝廷を拘束する爲, ことを謳歌してゐる。此の書の筆者で、幕政の樞機に參與した金地院崇傳が、斯, 功御徳をいはゞ、北山の結構未だ善をつくすといふべからず。聚樂の莊麗猶, 門以下大名及び旗本の陞進又は初敍の恩典に浴したもの約七十人の多きに上, 徳にはづる事多かるべし。天下後世までも誰か此盛規を仰がざらん, づね、すたれしためしを引おこし、かかる行幸を待むかへさせ給ふ事。その御, に陞り、家光は同じく從一位右大臣に陞任、更に左大臣に累進した。又徳川氏一, の際にも過ぎたと稱せられ、秀忠は行幸前左大臣に陞任し、行幸後更に太政大臣, 第一章朝廷第二節朝幕關係, 四五

  • 第一章朝廷第二節朝幕關係

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  • 四五

注記 (16)

  • 1507,574,59,1736り、江戸時代空前絶後の盛事と稱せられた。「寛永行幸記」には、
  • 711,571,58,2264くの如き禮讚の辭を惜まなかつたのは尤ものことながら、禁中並公家諸法度の
  • 1392,642,58,2200この時にあたり、公武御同體の仁政、九夷八蠻の遠に及び、かくふるきあとをた
  • 381,574,56,2262力を費して朝廷尊崇の意を表し、以て公武融和の實を收めようとしても、決して
  • 491,578,58,2266には僭越不遜をも憚らなかつた幕府が今また二條城に行幸を仰ぎ、其の權勢財
  • 929,575,59,2268と、家康以降三代の撥亂反正の功、皇室尊崇の徳を擧げて、公武の御融和を致した
  • 602,577,59,2265制定・女御入内等、事毎に幕府の勢力を禁裏・内廷にまで扶植し、朝廷を拘束する爲
  • 821,576,59,2267ことを謳歌してゐる。此の書の筆者で、幕政の樞機に參與した金地院崇傳が、斯
  • 1154,641,62,2198功御徳をいはゞ、北山の結構未だ善をつくすといふべからず。聚樂の莊麗猶
  • 1625,571,60,2269門以下大名及び旗本の陞進又は初敍の恩典に浴したもの約七十人の多きに上
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